2018年9月4日に、台風21号が大阪を直撃しました。1961年の第二室戸台風とほぼ同じ経路でした。
枚方では観測史上最大の、40.2mの最大瞬間風速を観測しました。その際に、わが方のマンション屋上に設置しているHFのアンテナが破損しました。
アンテナは7m弱のグラスファイバーポールにIV線を沿わせたものなのですが、そのポールが、2ヶ所で破断しました。
根本的な原因は、グラスファイバーポールの肉厚です。元々は移動用に考えられたもので、1mずつの長さのテーパー状のパイプを、望遠鏡式に伸ばす、というものです。その接合部や設置の際に傷の付いた箇所に、かなりの応力がかかって、破断に至ったのだと思われます。
ポールの内部には先端からデベグラスワイヤーを通してあり、下端は小型タワーにくくりつけてあります。そのおかげで、ポールが破断しても、ポールが屋上から飛散することはありませんでした。まさに「転ばぬ先の杖」であります。
肉厚のポールはどの販売店も入荷待ち(DL製なのです)状態なので、とりあえずは、従前と同じポールで再建することにしました。
ステーを引っ張る箇所付近に応力がかかるのは間違いないので、ステーにかかる力をポール以外で受けるために、ポールの内部に32mmの塩ビパイプを入れました。
アンテナの再建は部品の調達と天候の具合で、破断から一週間後の9/11に行いました。従前と同じ状態になり、飛ぶかどうかは別にして、HFの受信ができ、相手を呼ぶことができる状態に戻せました。
久々にFT-DX5000でEUと交信(出力25WのCW)すると、やはりHFはいいなと思いました。(2018年09月16日)
macOS を10.12から10.13(High Sierra)に上げて、何事もなく済んでいたのですが、LoTWにデータをアップするソフト(TQSL)の認証ができなくなって、再認証を求められました。
再認証の作業自体はTQSLのソフト上でできるのですが、読み込ませる認証ファイルはARRLからメールで送られてきます。
これは(意外なことに??)自動的に行われるのではなく、どうも人間がチェックをしているようなのです。
そのために時間が掛かります。運悪く、土日を挟んだので、数日掛かりました。おまけに、1回目の再認証を要求した際に、有効QSOのデータの入力を空欄にしておいたために、アップしたデータが「日付がおかしいよ!」というエラーになりました。
2回目の再認証で何とか事無きを得ましたが、いやはやまいりました。
(2017年10月17日)
(過去の分はもうないことにして、以下新たに書き出してみます。)
「無線回顧録」はもともとFBBSに載せるつもりで書き出した物です。パケット通信華やかなりし頃に
ワープロ専用機(NEC文豪mini5G[これがまたマニアックなもので、OSとしてCP/M80が走っていました。]をTNCにつないで、ワープロに打ち込んだ文書を順次HFのパケットで流したのです。近くのノードにアクセスした物が、違う経路で流れていくのを傍受(傍観??)するのも妙な感覚でした。
アマチュア無線というものの存在自体を知ったのは小学校4年生の頃だったかと思います。その頃「エレキット」という電子玩具とでも言う物が数種類ありました。デパート(確か京都四条河原町の高島屋)のおもちゃ売り場にいくつか並んでいたのを覚えています。
毎年の誕生日にはデパートか大きな模型屋さんで数千円のプラモデルを買ってもらうのが常だったのですが、このエレキットに関しては姉と一緒に買いに行ったような気がします。それも自分の小遣いかお年玉を使ったような気がします。
トランジスタ(2SA型!! もちろんゲルマニウム!!!)が1つと、その他バリコンや固定抵抗など、要するにディスクリートな部品が3センチ角位の小基板に載っていて、それらをコードで繋ぐというものでした。
昨今再販売がされた学研とは異なるメーカーから発売されてました。
このキットではゲルマラジオから始まってワイヤレスマイクまで、10数種類のごく簡単な電子回路を実験することができました。
当時の私の無線や電子技術に関する情報源は「子供の科学」でした。たしか4年生の後半から親に頼んで取ってもらっていたような気がします。その本の真ん中から少し後辺りに、電気や無線に関する読み物や製作記事が載っていました。5年生の時に、それに載っていた2石レフレックスラジオを作ったのが、部品を購入してラジオを拵えたはじめであったと思います。
当時の京都では寺町(正確には四条寺町から少し下がった[南に入った]辺り)に電気店街がありました。規模は日本橋の10分の1程度でしょうか。それでも成り立てのラジオ少年には遠く*輝いている場所でした。小学校高学年から高校1年製頃まで、小遣いをもらうとまずは寺町へ行く、というのが私の最も「ハレ」の時間になりました。
電話級(現4級)の免許を取ったのは14歳の春(1968年)でした。そのころは免許獲得方法は、年2回の国家試験を受けるかと、JARLの養成講習会を受講するかというものでした。何となく国家試験を受ける方が「正統派」であるという雰囲気はありました。
この時代の少年たちの多くにとってアマチュア無線をするというのは、一種のかっこよさがあったと思います。(かなり多くの人が免許を獲得したはずです。2007年=今年の春からの団塊の世代の退職ということもあって、少年の時に取ったアマチュア無線の資格をまた活かして・・・という人たちが出てくるかも知れません。)
どの級の試験も記述式でした。1問だけ解けなかった問題を未だに記憶しています。FM検波回路の方式の説明をする問題であったかと思います。(この後10年以上たって電信級を受け、更に数年後に2級を獲得するのですが、2級までは全て記述式+電信は送信の試験もありました。私が受けた試験で唯一の択一式は1級です。)
1ヶ月ほどして合格通知が家に届いたのですが、母親がそれを学校へ連絡し、同時期に受験していた同じクラスの友人と共に担任から「合格した」と告げられました。ついでにこの先生は「まぁ勉強の方もおろそかにしないように」と釘を刺しました。いつの時代も教師の台詞は似たり寄ったりです。)
CQ誌の制作記事や宣伝、無線機の紹介記事などを文字通り本がぼろぼろになるまで何度も何度も読みました。TRIOからTS500が発表され、更にTS510が発売された時期がちょうど私の開局の頃です。裕福な家庭の友人は親にねだってTS510を買ってもらっていました。非常にうらやましく思ったことをよく覚えています。
回路図も読めるようになり、そこそこの物は作れるという自信(=ほとんど「うぬぼれ」の同義語)だけを武器に、CQ誌に載った21MHzシングルバンドのSSBトランシーバの制作に挑戦しました。
持っていた測定器はテスターだけです。なんとも無謀なものでしたが、1年という長い年月を掛けて完成しました。何度も何度も作り直し、シャーシ(←もちろんアルミのシャーシ)も4~5回位は穴開けからすべてやり直したように思います。学校から帰宅すると夕食の時間以外はずっとハンドドリル、ドライバ、ラジオペンチ、リーマ、ハンドニブラー、はんだ鏝などとの格闘でした。部屋のなからアルミの切りくずだらけでした。
CQ誌の記事だけを頼りに文字通りの試行錯誤の繰り返しでした。モニタの出来る受信機もない環境で、よくまぁ作り始めたと今になって驚くばかりです。必要な部品の大部分は中古のテレビから取り外した物でした。もちろん真空管の時代です。終段の球はテレビの水平出力管のほうがいいのか、やはり送信管(6146やS2001など)がいいのかといった論争が、CQ誌や電波科学(NHK出版から出ていた無線関係の雑誌)に喧しくなされていました。その論争とは直接関係なくとりあえず手元にあった6GB6というテレビの水平出力管を使うことに決めました。
受信部の初段は6BZ6がいいのは分かっていたのですが、買えなかったのでしかたなくシャープカットオフ管の6CB6で最初はやることに決め、とにかく第一局発の水晶を注文したりケースは叔父から譲ってもらった9R-59の外を使うことに決めたりしたのが、中2の終わりから中3に掛けての頃だったようです。
IFTもテレビのものを取り外しコイルを巻き直して作りました。もっとも苦労したのはVFOです。前述のTS510のVFO出力を印字機能のある周波数カウンタで数時間に渡ってプリントアウトさせている様子が、TRIOの宣伝に使われていました。数字は全く動かないのです。驚きましたね。アナログVFOで数時間に渡って微動だにしないものを作れるなんて、想像も出来なかったのです。(もちろん後になって、戦後間もない頃から軍用機では周波数が動かないのが当たり前、アマチュア無線機でもコリンズの物は相当安定していたということを知りました。)
低周波段(マイク入力、SP出力)の製作から始まって、高周波段(終段、受信部フロントエンド)に至るまで、ブロック毎に作っていった。
それまでに作った大きな物(例えば受信機や送信機)は、1-V-1の受信機だけであった。もちろん分解や改造などで、ハンダ付けや回路図を読むことなどはそれなりに出来るようにはなっていたが、とにかく信号の存在を確認出来るものは、低周波はSP、高周波はテスターに繋いだ簡単な検波器(ゲルマニウムダイオードを2つくっつけただけ=要するにゲルマラジオの出力を電圧計で読むだけのもの)しかなかった。もちろん周波数計などという便利かつ必須のものはなかった。
BFOは水晶発振なので周波数は確定している(455kHz帯[このころはまだkc表示であったが・・])、そこへ6AU6で組んだVFOの出力(受信部第2局発=送信部第1局発)を混合すれば、受信している周波数からVFOの発信周波数を判定できる・・という発想でとにかく第2IF段はできた。さらに第1局発の16.350MHzの水晶発振を混合すれば、21MHz帯は受信できる・・はずであった。
■ 閑話休題 ■
(1) 今もそうであるが、実験や製作の記録を取っておけばよかったと思う。回路図は読めても自分で回路定数を「理屈をもとに」変更する、ということはできなかった。基本的に雑誌に発表された製作記事のデッドコピーであったが。やはり実際にはCRの定数を手持ちの物で変更することもあった。そのような場合に出力や感度がどのように変化するかを記録しておけば、後々の役に立ったはずである。しかし、測定器がない→変化は体感的なものでしかない→記録しても無駄・・話はもとに戻る。
(2) ということで、この頃(といっても数年前から=VoIP無線のためにインターフェースを多数拵え始めたころから=)は、回路変更などをメモするようにしている。もっとも簡便かつ可読性の高い形式=手書きで残している。「昨日の私は赤の他人」状態の程度が上がって(下がって?)来ていることももちろん関係している。
2階の部屋の窓から適当に延ばした電線(要するにシングルワイヤー)の端を、まずは第2IF段の球に入力した。VFOのバリコンに繋いであるギアダイアル(←このトランシーバに使った部品の中では2番目に高かった。確か2980円! アイデアルという商標であったか、摂津金属というメーカーであったかと思う。)を回すと確かに5MHz帯の電波が受信できた。
当時はまだまだHF帯は業務通信にも中心的に使われていた。海外との電話は海底ケーブルの回線も存在したが、KDDが短波の回線を使って行っているのもあった。NHKの名古屋や大阪など主要な局からの連絡波(マイクロウェーブの中継回線のバックアップ)も、HFでいくつか出ていた。もちろん国際放送は短波であった。インターネットのもとになったARPANETは始まっていたが、その存在すら私は知らなかった。
21MHz帯(正確には21.200~21.350辺り!)を受信してQSOが聞こえた時には、本当にうれしく感じました。送信部もほぼ同時に出来上がって来ていたので、とりあえずはダミーロード代わりの白熱電球を繋いで送信実験をしてみました。
SSBの送信機で(当時)難しかったのはキャリア漏れをいかに小さくするか、ということでした。平衡変調機(バランスドモジュレーター、略してバラモジ)も、4、5種類の回路を試してみたように記憶しています。
参考にしていたのは旧版のSSBハンドブックです。ぼろぼろになるまで端から端まで読みました。12AT7でバラモジを組む……などという回路を組み上げたのを覚えています。しかし結局はダイオード4本でのリング変調器に落ち着きました。回路をあれこれと換えてもキャリアの量が減らない、と思い込んでいたのは、どうやら測定器=キャリアを検出するためのRF検波器+テスターへのキャリアの回り込みであったようです。
トランシーバがとりあえず完成すると、次の課題は電波の出口すなわちアンテナをどうするかでした。その頃(1969年)21MHzで新規に開局する場合のアンテナでは、まだ竹竿のマストにダイポールというものが多かったように思います。もちろん中には4エレメントの八木を製作して屋根の上に上げるという強者もいて、見学に行ったこともありました。
適当な竹を2本繋いでそこにテレビの平行フィーダー(300Ωのもので、これは容易かつ安価に手に入りました。)をエレメントにして垂直ダイポールを作りました。これをテレビの八木アンテナ(これは3エレでした。まだ白黒の時代で、自宅が送信所の生駒からもそう遠くない場所であったのからでしょうか?)のマストにくくりつけました。給電点はせいぜい地上高6m位でした。給電は同軸ケーブルです。
このころはまだ75Ωの3C-2Vが標準でした。メートル当たり70円ほどしたように記憶しています。給電点から10mほど引っぱってきて、2階の自室の窓辺に設置したトランシーバに接続しました。
開局は1969年7月5日です。局免許の申請から3ヶ月ほども掛かりました。そろそろコールサインが発給されたかという時期を見計らって、学校の公衆電話から近畿電監の担当の方に掛け、JA3VQWになったと教えてもらいました。1エリアでは1年ほど前にすでにJH1が発給され始め、3エリアでもそろそろAコールがなくなるとうわさされ初めていたころです。
免許状の到着を待って(待たずに??)電波の発射を始めました。真夏で21MHz帯ではEスポがしきりに発生しており、最初の交信相手局は7エリアの局でした。先にメーカー製のキットを購入して開局していた同じクラスの友人はじめ、この日には計20局と交信しています。
その後毎日毎日、学校から帰宅すると夕食の時間以外は寝るまでの4、5時間をトランシーバの前で過ごすようになりました。
トランシーバはそれなりに動き出したのですが、CQ誌のあれこれの記事を生半可にかじってのつぎはぎだらけの状態で、あちらこちらに不具合が生じました。キャリアポイントを動かすことによってSSBの音質は大きく変わります。このごろのDSPでSSB波を発生させる物では、キャリアポイントはもとより、キャリアサプレッションの量に至るまで、ソフトで(ユーザーの側ではセッティングで)簡単に変更できます。ところがキャリアを水晶発振で行うという古典的なものでは、水晶の周波数変えるしかないのです。455kHzでUSBを作るには普通は1.5kHz下の453.5kHzにするのですが、何をどう間違ったのか「わざわざ」435.2kHzの水晶を注文して使用したのです。当然甲高い声=YLのような声=での発信でした。
半月ほどしてローカルの局から局発の周波数設定がおかしいとの指摘を受け、ようやく問題に気付きました。買いに行ける範囲の店に電話を掛け、その中の一軒に453.5kHzの水晶(HC-6Uタイプという、もうこの頃は見ない大きな物)が置いてあるのを知り、急いで出かけました。
■またまた閑話休題■
電子部品の入手に関しては、1980年半ば頃がもっとも困難であったように思います。宅急便もなく、もちろんインターネットもまだ一般に開放もされていませんでした。日本橋に行っても手に入らないものは、雑誌(CQ誌、トランジスタ技術など)の後半分に付いている広告の小さな文字を食い入るように見て、現金書留封筒に注文書とお金を入れて送り、来るのをひたすら待つ、というのが普通でした。
そのころに比べると、今は物の調達に関しては、入手したい物がはっきりと確定している場合には非常に便利になりました。
このことは書籍の入手に関しても同様です。ほとんどのオンライン書店が、一定程度の金額以上の物を買った場合には、送料なしで自宅まで本を届けてくれます。わざわざ電車に乗って都心の大きな書店に行く手間(時間)も費用も要らないのです。
非常に便利です。新刊本などで、出版社のHPやダイレクトメールで内容のはっきりと分かっているものは、大抵オンライン書店で購入するようになりました。同じことをする人はかなり多くなってきているようです。しかしこのことによって(また根本的には、日本の書籍の販売・流通形態の問題によって)現実の書店=街の本屋さんは、どんどん廃業していっています。
目当ての本を買いに本屋さんへ行って、それを見つけること自体も楽しいのですが、同じ書棚に並んでいる面白そうな本を見つけるのも、リアル書店ならではの楽しみなのです。これはオンライン書店では不可能です。
同様のことが無線機さんに関してもあります。必要な部品を買いに行って、ついでに面白そうな物を買うということがありました。[このことはジャンク屋さん巡りのときには顕著です。面白そう:いつか役に立つと思ってついでに購入した部品の大部分は、使われないままに10年以上もジャンク箱の中で暮らすことになります。]
VoIP無線やレピータの製作をを始めて、無線機とコンピュータとの間のインターフェースや無線機と無線機のインターフェースなどを何台も(知り合いに譲った物も含めると10台以上)作りました。必要な部品の大半はジャンク箱から見つけだしたのですが、オンラインの通販で手に入れたものもあります。[無線関係のパーツ屋さんで、送料無料という通販はまだないようですね。代引きの手数料と合わせて1件あたり800円程度掛かりますが、日本橋往復の交通費よりもまだ安いのです。]
音質も普通の状態になり、その後の1年間ほどは交信に夢中になりました。局数から言えば国内が圧倒的に多かったのですが、気持ちの上ではDXを追いかけている、というものでした。ローカルの同世代の人たちとカントリー数を競いましたが、QRTまでに交信できたのは50カントリーくらいでした。
ローカル局とも毎晩のようにラグチューをしました。5局以上でのラウンドQSOも珍しくなかったと思います。ちょうどEcholinkのカンファレンスやIRLPのリフレクターに集まって交信している感じです。VoIP無線と当時のSSBによるラウンドQSOの大きな違いは、同時に複数の局が送信していても、その全ての音声が他局で聞くことができる、ということです。同時に2局以上が送信しても、その音声がネットに流れるような仕組みをVoIP無線でも実現できないでしょうか? たしかSkypeではそういうことも出来たように思うのですが・・・・[いやはや話が横道にそれすぎます・・]
アンテナもあれこれとお金を掛けないでグレードアップする方法を模索しました。CQ誌のアンテナ関連の記事でも竹竿を活用するものが、多数ありました。日本中に竹藪があり、購入するに際しても竹屋さんがどの町にもあったこと、また加工も簡単であることが竹多用の理由であったようです。一方、竹は耐久性には欠け、屋外で使うにはせいぜい2年くらいが限度であったかと思います。
近くの竹屋さんから長さ10メートルほどの竹を購入しました。根本は十数センチありました。もちろん独りでは運べませんので、ローカルの友人に頼み家まで持って帰りました。
アンテナハンドブックや無線関係の製作記事に、自転車で竹を運ぶ方法などというのもありました。
垂直ダブレット[ダイポール](ダブレットという言い方のほうがなぜか普通でした。)の次には、1エレメントのループアンテナを製作しました。ローテーターなどという便利な物はありません。手で回すのです。テモテーター(手モテーター)などと呼んでました。それでも8の字特性を実感しました。当然のように次はエレメントを増やして・・とグレードアップを考え出しました。
しかし、屋根の上というか横(=TVアンテナの設置用の腕木様のもの)からビームアンテナを上げることは、さすがに父親がうんと言いませんでした。庭に建てるしかない、ということでまず作ったのが、定尺(5.5m)のパイプ2本と角材で拵えた梯子です。一部分を地面に埋め込み、モルタルで固め、2段のステーで補強しました。この一連の作業はローカルの局に手伝ってもらいました。(彼は中学校の同級生でもあるのですが、1回目の再免許を待たずにQRTし、いまだ復活していません。)
このタワー(=梯子)に、ローカルの局(この局は引っ越しにあたって余ったいろんなものを譲ってくださいました。832Aもあったのですが、結局使わずじまいでした。)からもらった直径5センチのパイプの中に少し細いパイプを差し込み伸縮可能なマストにしました。
このころキュビカルクワッド(Cubical Quad)が低い地上高でも打ち上げ角が低くてDXに良く飛び、ループ型なのでノイズにも強い、という評判が立ちました。確かにCQを使っている局の波は良く飛んでいるようでした。前述のローカル局が21MHzの3エレ八木を作ったのですが、ほどなくして解体。その残骸というかアルミパイプをもらってきて作ったのがHB9CVです。これはたしかにビームも切れてよく飛びました。
京都市内の知り合いの局から譲ってもらったローテーターを付けて、しばらくはビームの楽しさに酔いました。
このころが我が無線人生前半部の頂点です。
1年間夢中になって製作したトランシーバを使い、DXもそれなりに追いかけていたのですが、世の中の動きの方がより「熱かった」のです。[なにしろ中学3年生が1969年、高校一年が70年でした。「70年って何??」という声が聞こえますが・・気付くと30年以上も前なのですね。感無量とはまさにこのことです。]
73年4月に大学に入学。全国的には「政治の季節」は既に終わっていたのですが、なぜか私の入ったところでは、残り火が燻っていました・・
ほとんど無線とは縁のないような生活だったのですが、無線の雑誌だけは本屋さんでチェックしていました。何度目かのBCLブームの頃でもあったのでしょうか、TRIOからQR-666という受信機のキットが発売されました。往年の9R-59Dを全トランジスタにしたようなものでした。15MHzから上はダブルスーパーになる、というのが売りでした。ローンを組んで購入しました。50kほどしかたと思います。
全部組み終わって何度も点検したのですが、15MHzから上の感度が極端に低いのです。相当後になって、ダブルスーパのフロントエンドで何カ所かイモはんだがあるのが判明しましたが、そのときには既にFR101DDを買っていました。イモはんだは私のせいではなく、メーカーであらかじめ組み上がったサブ基板でした。
77年にJRCからNRD505が送信機(型番は何だったかな??=NSD505でした。)のラインナップが発表。アマチュア向けの本格的な全波受信機でした。セットで70万円位でした。いつか手に入れたいなと思った記憶があります。
78年に就職。安定した収入が手にはいると、俄然無線の虫がうごめき出しました。
79年秋に電信級取得。試験の日が日曜以外だったら、仕事の都合で受験できていなかったはずです。そうなるとこの「無線回顧録」がなかったどころか、私のその後の人生そのものが根本から変わっていたと思います。
80年春に公団住宅に入居。アンテナ建設のことを考えて5階建ての最上階を希望。屋上へのアンテナ設置で何度か公団事務所と電話での交渉があったのですが、ダメでした。仕方なく21MHz 5/8λのGPをベランダの端から伸ばしました。これに手動のアンテナチューナーで1.9から28まで乗せました。(このころはまだ1.8は開放されていませんでした。)
1985年に現在の分譲マンションへ引っ越しました。それまで住んでいた公団住宅から坂道をぐるっと登ったところにあるものです。「あそこの屋上にアンテナを建てたら、よく飛ぶだろうなぁ……」と羨望の眼差しで毎日眺めていた建物です。そこの東南の角部屋が売りに出されていたのです。足の爪を切るのに新聞の折り込み広告を使っていて、ふと見るとそのマンションの宣伝が載っていました。Xと見に行き、一目で気に入りました。敷地の高さの差は、せいぜい20メートルほどなのですが、そこからさらに20メートルほどの建物が建っているわけです。枚方市のほぼ全部と交野市、京都の北山まで見渡せるすごい眺望でした。85年12月にバタバタと大騒ぎの中で引っ越しました。
分譲マンションには管理組合があります。屋上にアンテナを建てるには管理組合の総会に掛けて承認の決議をしてもらう必要があります。しかし住んで間なしの人間には無理なことです。ぐっと我慢をして、とりあえずのアンテナとして、ベランダに21MHzの5/8λのGPの残骸で作った長さ6mのモノポールを設置しました。使う時だけ突き出すという、隠密タイプです。チューナーは自作のマニュアルタイプで、1.9~29MHzまで乗せました。こんなもの(出力はTVIを心配して10W)でも、団地の時に比べると格段によく飛んだのです。ロケーションの力を実感しました。ベランダでここまで飛ぶのなら、是非とも屋上に建てたいと、さらに気持ちは強くなりました。
管理組合の総会は年に1度しか開かれません。住んで1年経った頃にやっと総会が開かれ、その正式な議題に「屋上へのアンテナ設置」を出してもらうことができました。総会ではずいぶん緊張しました。ここで否決されれば数年の間は同じ議題を総会に掛けてもらうことはできません。アンテナ保険にも入っていること、TVIが出ればすぐに電波の発射を止めて対処する、などを述べて可決してもらったのです。
エレベータの塔屋から屋上まで斜めにシングルワイヤーを25m程張りました。試験電波を出す日程を決め、各戸のテレビに異常がないかを調べてもらうことにしました。画面が乱れたりしたら電話を掛けてもらうことになっていました。
自宅の数台のテレビでは100Wの送信でも異常がないことを確認していましたが、試験電波を出してからの数十分間は恐ろしい緊張でした。幸いどこからもTVIの報告はなく、現在に至っています。
以前の団地では10WでもTVIがあったのです。近隣の方がNHKに連絡され、NHKの大阪放送局の方がスペアナなどを持って調査にこられたことがありました。高調波ではなく、各棟に設置されている受信ブースターの混変調が原因でした。NHKはブースターにHPFを無料で付けてくれました。このときからNHKの受信料もきっちり払うことにしました。
リグよりもアンテナが重要、とは何度も聞いたり読んだことなのですが、実感しました。全周360度遮るものがなにもない高いところから波を出すと、それがロングワイヤーからの10Wであっても良く飛びました。100Wまで保証認定で落成検査なしになっていたので、免許状には100Wまで記載されていましたが、しばらくの間は10Wでの運用でした。ごくたまに50W位まで増力もしました。
リグは団地のころと同じFT-101とFR-101DDのフルトランシーブ+QSK(フルブレークインキーイング)仕様改造機でした。RTTYでもようやくこの段階になって、EUとも交信できるようになったのです。
しかしRTTYに要求される周波数の安定度をFR-101のアナログVFOでは完全に満足させることは出来ませんでした。もちろん短時間の交信では問題はないのですが、やはり「動く」のが分かるのです。
Ham Journal の記事を参考に「動かない」VFO=PLLを目指していくつかのICとTrでPLLもどきを作ったのですが、やはり動くのです。これはリグの買い換えしかない、と決断(勝手なへりくつ?)をして日本橋の無線機屋さんへ行ったのです。
それまでもDX中心のアマチュア無線ライフを送っていたつもりだったのですが、機械を換えてからは力の入り具合がことなりました。日本橋で買ったのはIC-750です。今でも中古が割にいい値段で取引されています。100W機でありながらもAC電源内蔵でした。しかもコンパクト。10Hz毎のチューニングが取れるのですが、表示は100Hz単位という、もったいない設計でした。
RTTYをするために買い換えたつもりだったのですが、やはりCWが中心になりました。CWではしゃべる必要がないのです。当たり前のようですが、これが大事です。しゃべらない=家人のじゃまをせずに無線が出来る、ということです。
IC-750は感度も操作性も良かったのですが、CWに関してはオーディオピークフィルターが入っていませんでした。これはCWをするには必須(と私は思うのですが??)のものです。値段の張るものではないのですが、昨今の機械には入っていないのも多くて、不思議です。パッシブタイプ(アミドンのポットコア[多分今は製造していないもので、入手はむずかしいでしょうねぇ。]とCRを組み合わせたもの)のAPFを小さな基板に入れ、何部に組み込みました。APFのON/OFFはリレーにして、そのリレーのONのボタンは、全面パネルの何かのボタンで兼用させたような記憶があります。回路も書き残さず、写真も撮らずと言うもったいない作業でした。
このマシンを中心にDXを追いかける日々が始まりました。CWのコンテストにもよく出ました。DXCCもようやく200を超えるところまで行ったかと思います。
IC-750にそんなに不満はなかったのですが、CQ誌ではDSP搭載の機械の宣伝や紹介記事が多数載るようになりました。フィルターを複数載せる必要もないのに、IFの通過帯域を3kHz~50Hz位まで無段階に変化させることかできる、という夢のような装置。ノイズもデジタル処理で嘘のように消える、というのがDSPの売りでした。世紀が変わって数年後の正月に、またしても日本橋の店へ走りました。
手に入れたのはIC-756PRO。中古でしたが200k円。後にも先にも私が買った最も高い無線機です。[無線機だけではなく、これより高いものは車と家しか買ったことがありません!]
ど真ん中に大きなディスプレイがあります。お店でアンテナを繋いで聴かせてもらったら、HFのノイズがすっと消えてSSBの交信が明瞭に聞こえてきました。消費税だけまけてもらって、DC電源と一緒に持って帰りました。
IC-756PROを購入してついでにAH-4も購入した。これは非常に優れたATUである。カタログでは80mb~6mbにしか対応していないように記載されているが、20m以上の電線があれば160mbも大丈夫である。この6年以上も毎日使っているがまったく故障がない。ときに定格の100Wを超えて送信することもあるが、タフである。HFのほとんどのリグに内臓のATUがあるということを考えに入れても、発表から10年近くもモデルチェンジがないのは、それだけこれが優秀だということだろう。まぁケンウッドが元気な頃にはループアンテナにそのまま使えるATUも発売されていたが、今は昔の夢である。
この組み合わせ(IC-756PRO+AH-4+マンション屋上の25mの電線)で数年間DXを追いかけた。確かにノイズリダクションは驚くほどの効果があった。帯域幅自在のDSPでCWの受信も楽になった。しかし半年ほど使ううちに妙なノイズがあるのに気づきだした。テレビ画面でいえばゴーストのような「存在しない音」が聞こえだした。決して混変調やイメージ混信による音ではない。それらであればモニタスコープにも何らかの波が見えるのだが、そのようなことはまったくないのだ。さらにCWの受信を長く続けていると非常に耳が疲れてくるようになった。
私は1969年に開局以来一貫して受信にはヘッドフォンを用いている。主に夜中に交信することが多いからなのだが、弱い信号の受信に集中するにはスピーカーよりはずっといいと思っている。
現有メインマシンのIC-780にはそれにマッチしたSP-20を繋いであるが、ここから実際に聞こえるのはIC-R8500の音である。SP-20内臓のLPFやHPFはなかなか性能がよく、ホワイトノイズがぐっと減る。
そのヘッドフォンでの受信なのだが、同じものを使いながらIC-750の時には何でもなかった数時間の連続受信が苦痛になってきた。帯域の微調整をしたりノッチフィルターの設定を変えたり、IFフィルターの肩のカーブを変えてみたりとあれこれ試したのだが、結果は同じであった。
しばらくしてどうやらこれはDSPそのものから出ているAFのノイズに違いないと気づいた。IC-756PROⅡならばこのようなノイズはないのかと思って、その頃連日の朝夕晩とVoIP無線で交信をしていた局に尋ねると、同じようなことがPROⅡでもあるとのことであった。さてどうするか。我慢して使いつづけるか、外付けのAF段のDSPを用意するか、はたまた別のリグを手に入れるか……もちろん「先立つもの」との関係もある。
ひょんなところから救世主が現れた。一世代前のフラッグシップIC-780を10万円強で手にいれることができたのだ。少々くたびれた外観ではあったが、受信音はぐっとよくなった。しかし、100Wで送信すると機械内部での安全装置が働いて電源が落ちてしまうのだった。さてどうするか。WEBでサービスマニュアルを落として調整を試みたが、電源回路の根本的な修理が必要だと分かっただけだった。ダメ元で購入先へ連絡したのだが、非常によい店(中部特機金沢店)であったので、中古でありながらも初期不良での対応=全額店持ちでの修理となった。HFの機械の場合、1週間から2週間程度で修理は上がるようだが、フラッグシップ機ということで、修理したあとでのエージングも念入りにしてくれて、1ヶ月かかった。これがわが現有メインマシンである。
機械がいいと新たな力が湧いてくる。起動直後の周波数の安定さこそ、最新の機種には負けるが、その他の面は古くてもフラッグシップはフラッグシップであると感じ入った。IC-756PROなどのカラーのモニターに比べるとモノクロームのしかもブラウン管での表示は、なんとなく頼りない感じもあったが、受信音の良さはそれを補って余りあった。基本的にアナログの回路構成でもっともいい性能が出るように各社が競い合った80年台後半から90年初期にはすばらしい機械が頻出した。思えばバブル経済の最盛期であった。
昨今の超ど級のマシンの出現は、経済の復調に応じたというよりも、団塊の世代の退職金をねらったもののようだ。
本日WEBをチェックしていたらデイトンのハムフェスティバルでIC-7700なる機械が発表されたとか。スペックをみると非常に良い感じである。しかし、やはり「4桁無線機」である。HFの4桁無権機には手が届かない。4桁で購入できるのはV/U機だけである。
もうきっかけは忘れてしまったのですが、5年近く前からVoIP無線をやってます。最初はWires。CQ誌で紹介があったのですが、何度読み直しても概念がなかなか理解できなかったのを覚えています。
例の日本橋に店に在庫があるのを確かめて買いに行きました。ノードに使う無線機はとりあえずFT-817。アクセス用のHTには中古のVX-5を購入。マンション屋上に25-1200まで使えるディスコーンを建てて運用を始めました。
この頃からJR1NNV局はじめ、毎日交信(文字通りに毎日です)する「距離を超えたローカル局」が出来ました。
安定した通信ということであれば、無料で出来るSkypeもあるのですが、HTのPTTを押しながら「半二重で」行うところに、VoIP無線がskypeなどとは違う魅力があるのだと思います。VoIP無線で知り合った局に紹介されて、Echolink(のーL局)もIRLPも始めてみました。それぞれにおもしろさと良さがあるのですが、共通しているのは「最後のところは無線機」であるということです。「無線」ということばに惹かれてもう40年以上にわたってやってきたのですから、体に染みついたものがあるというか、「無線」という言葉には体が勝手に反応するのです。
携帯電話も必要に迫られて10年ほど前から使っています。携帯メールは仕事関係でも家族間の連絡にも、もう生活必需品になっています。
携帯も800MHzや1500MHz辺りの電波にいろんな変調方式で音声を乗せているということでは、まさしく無線です。携帯電話自体はHTです。でも、無線とは違います。自分の操作=PTTを押す、キーをたたく、ということによって初めて電波が出ていく、電波を自分が操作している感覚が無線です。
私は昨今の携帯のフリップタイプが嫌いで、未だに5年か6年ほどに買った「二つに折れ曲がらないもの」を使っています。もちろんカメラなんぞというものは付いていません。思えば「電話」も変わったものです。
私が小さい頃には子どもにとっては電話に出ることは怖いことでした。確か小学校4年生ころまで、掛かってきた電話に私が出る、などということはなかったと思います。ベルが鳴れば誰か大人に出てもらうのが普通でした。
電話のない家もたくさんありました。自己紹介の欄などに「電話(呼出○○様方)」というのもありました。近所の人への電話が家に掛かってきて、その人を呼びに行く、ということもありました。大昔のことのようですが、今から45年ほど前にはごくありふれた光景でした。
固定電話も契約数も減少し、さらには公衆電話も見かけることの方が少なくなりました。しかし災害を考えると心配です。大災害の時に繋がるのは公衆電話の回線です。一般の固定電話とは違う回線が使われていて、通話が輻輳したときにも優先されるようになっています。事実、阪神大震災の時にも、大阪への電話が繋がりにくくなったのですが、公衆電話からはいつもと同じように掛かったのです。
更に心配なのは、このところのIP電話の普及です。IP電話は非常によく落ちます。新聞などで報告されないトラブルも含めると、毎日相当な電話が「掛けたのに掛からない」状態になっているのだと思います。
ある日、妙な現象に気づいた。レピーターがONになるとHF帯のノイズが上昇するのだ。わが方は市街地ではなく、たしかに周辺には農地もあるのだが、それなりの外来ノイズは常に確認できる電磁環境にある。この現象については不思議には思いながらも「ま、偶然か」と思っていたのだが、偶然の重なると必然になり、当然ながら原因の追及となる。折しも1200MHzのコントロールに使っていたPowerBook?が不調となったので、止めてみた。するとHFのノイズががくっと減少するのだ。IC-780のスペクトラムスコープの画面ではっきりと目視できるほど減るのだ。試しにもう一台のPowerBook?も止めてみると、HFのノイズはさらに減少した。
さてそこで思い出したのがVisorというPDAの存在。たしかChipmunkBasic?と互換性のあるBasicが走り、それには同じくmorseというコマンドもあったなぁと、記憶の片隅を掘り返した。
試しに単4電池を入れてみるとこれが問題なく動いたのだ。やはりHDDの入っていないのは強いと納得した。USBクレードルに接続するための端子には「open #5」といったコマンドでB+が出てくることも分かった。(B+なんて言う表現はまさに真空管時代の表現。さらに昔にはA電源もあったとか。B+=Vccである。)後は適当にプログラムをして10分おきにIDを流す装置は完成。
スケルチがOFFになったときのしっぽ(というよりも、レピータに対するアップリンクが途切れたときにダウンリンクがばたつかないようにする仕組み)と、連続送信を制限する3分間のTimeOutTimer?は、専用のIC2つを組み合わせて作成した。
古いPowerBook?を止めると、気持ちよくHFのノイズは減少した。時にはANC-4をOFFにしても問題ない場合もあることが確認できた。
最後の最後まで残ったのは、7020kHz前後に出てくるノイズ(S2程度)であった。これがスイッチング電源(DIAMOND製)からのものであるのを確認するまでに、さらに1週間がかかった。これも他のメーカー(アルインコ)のものに換えてHFの局内からのノイズはなくなった。
長時間のワッチでも耳が疲れなくなった。いままでものすごくノイズが多い環境を自分でつくりだしていたわけであるが、とにかく結果オーライである。しかし、ノイズが現象→弱い局が受信できる→呼んでみる→応答がない……というパターンが増え、新たなストレスを生むことになった……
無線機の性能がよくなったことと、アンテナがずいぶん改良されて、この数年間の大きなペディションでは、なんとかそのほとんど交信することが出来ている。
記憶に新しいのは2006年2月の3Y0Xである。7MHzや10MHzでは、文字通りバンド中がコールする局で埋まっていた。よく私の100W+LongWire?から出て行ったか細い信号を、コピーしてくれたものだと感心した。ここでWorkedが268。
2008年3月のTX5Cで285。2年間でNewが17である。多いと言うべきかなさけないと言うべきか。上がり(といってもQSLカードをコンファームする努力は全くしていないので交信するだけの「上がり」であるが)は、まだ遙か雲上である。
今年(2008年)に入ってからも珍しいところからのQRVが続いている。3月の5T(モーリタニア)、4月のYK(シリア)とペディションがあって、どちらも交信できた。これで287である。
その後、時間だけはたっぷりあるという生活の中で、かつて以上に無線中心の生活を続け、2014年6月現在で、322WKD、CFMは(たぶん)304である。
測定器メーカーのクラニシが倒産したのは数ヶ月前なのだが、その半年ほど前=2007年末=にふっと思い立ってBR-510というのを買った。SWRアナライザである。これ一台でアンテナのSWRが直視できるのである。おまけにインピーダンスも分かるというすぐれもの。箱から出しただけで通電もしなかったのだが、本日初めて動かしてみた。手持ちのV/Uのハンディ機用のアンテナなどを測定してみた。また、同軸ケーブルでスタブを作った物がフィルタとして働く様子も、目の当たりにすることができた。いやはや長生きはするもんだ。
CQ誌2008年8月号の記事に触発されて、コモンモードチョークを作ってみた。WEBで探した一番安い店でFT-240-43を2個購入した。こいつをスタックして手持ちの同軸ケーブルをあれこれ巻いて、AH-4への同軸に流れる同相電流がもっとも減少するものを作ったというわけだ。
コモンモードチョークはTVIなどの電波障害防止用に使われることが多いのだが、同相電流として局内に流れ込んでくる外来ノイズも減少できるのではないか、というのがCQ誌の記事であった。
コモンモードチョークを入れるとバンドによっては同相電流が10分の1ほどにもなることもあるが、今のところノイズが減ったかどうかは確認できていないが、目的の信号が弱くなることはないわけなので、挿入してある。
ひょんなことからFT-2000DとTS-590Sを処分して資金の半分ほどを捻出して、あこがれのFT-DX5000を入手した。文句なしの怒濤の受信性能である。300Hzのルーフィングフィルター(という言い方が昨今の流行だが、要するに一昔前のIFフィルター)の威力はかなりの物である。しかし、フィルターまでで飽和していたらフィルターの意味がなくなるのだが、フロントエンドの設計も大した物である。
ここ10年ほどはDXクラスタを見てから無線機のチューニングをする、というスタイルであったのだが、5000が来てからは、まず無線機の電源を入れる。バンドスコープで信号を確認。バンド全体のコンディションも把握しながら、交信できそうな=それなりの強さで入感している局を呼んでみる……という「古典的」な運用スタイルが復活した。
このスタイルでのんびりとヨーロッパの局とQSOしていると、アマチュア無線がking of hobby と言われていた時代の感覚をしばし取り戻せそうな気分にもなるのだ。
QSOの数が増えてくると、そしてコンピュータを日常的に使い出すと誰もが思いつくのがログの電子化です。
昨今は相手局を呼ぶとすぐに以前の交信の事を打って来る局がいて、驚きます。無線機の横にコンピュータが置いてあって、すぐにコールを打ち込んでいるのだと思います。
5年ほど前に一念発起して紙ベースのログの電子化を始めましたが2000ほどデータを打ち込んだところでギブアップ。データだけは表計算ソフトで読める形で残しておきました。
2011年の春から暇になったのでログの電子化に再挑戦。「窓」の世界ではハムログなど超メジャーな物がたくさんあるのですが、Macintoshのソフトにはあるにはあって100ドル近くもするものであったりします。
WEBの大海を暇にあかせて探しに探してようやく見つけたのが RUMlog という完全フリーのソフトです。ドイツの局が開発したものです。非常に機能も充実していて、タックシールへの印字機能まで付いています。
気を良くして1969年から2011年7月末までのデータを打ち込みました。13000QSOです。多いのか少ないのか不明ですが、記憶だけでは管理できないのは明らかです。
紙ベースのログを見ながらキーボードに打ち込んでいると、半年ほども交信をしていない時期があったりして驚きました。仕事と家のことが多忙であったのだと改めて我が人生を振り返った次第です。
ログの電子化が軌道に乗ったので、まずしたのは溜まっていた(何と今世紀に入ってからずっと!!)QSLカードを発行することでした。
タックシールに印刷したのを貼り付けるというのは、少々味気ない感じではあるのですが、手で全部記入するのはとうてい不可能なことを、短時間で成し遂げることができました。
これに気を良くしてARRLが行っているサービスLOTW(ロトーって発音するそうです。)に参加した。全世界のハムが電子化したログのデータをARRLのサーバにアップして、マッチしたものをQSL=DXCCに有効とする、という壮大な物です。
この構想が発表された時から、名前だけは知っていたのですが、登録はしていませんでした。
これがすごいのです。登録局が全世界で6万局ほど。アップしてあるQSO総数が何と4億弱。ARRLの会員でなくても全くの無料でできるのです。素晴らしいサービスです。
2011年10月末からデータのアップを行って、LOTWでコンファームできた物だけ224エンティティあります。
従前の紙のQSLだけでコンファームできているのと合わせると、DXCCは305/224(WKD/CFM)ということになります。
LOTWを使い出して、久々にインターネットの恩恵を感じました。(2011/11/15)
このところの運用は、こんな感じです。
(1)無線機の電源を入れる。
(2)スペクトラムスコープでバンドの開け具合をチェック。
(3)強そうな局=スコープの波がぴくぴく上下しているところに同調。
(4)コールを確認したら、RUMLogの検索窓に打ち込んで、最近のDUPEにならないか調べる。
(5)未交信の局であったり、何年も交信していない場合は呼んでみる。
ということになります。
交信局数が万を超えると、とうてい何らかの手段がないと未交信かどうかは分かりません。かつては整理簿なんてものをJARLで売っていたり、大学ノートでのチェック法などというものが雑誌に載っていたりしました。
しかし、こと検索に関してはコンピュータに勝る物はありません。
ログを電子化したおかげで、30年振りの2ndQSOであることが瞬時に分かったりもするのです。いやぁこれはすごいことです。
2012年の7月にドイツへ行ってHFの運用をしてきました。
ドイツの北部Hannoverに近いBraunschweigに2ndが夫君と数年間住むことになったのです。聞けば一軒家。これは無線機を持っていて夢の海外からの運用が出来るチャンスだと考えました。
ドイツまでは直行便もたくさんあるのですが、12時間もかかるのはしんどいなぁと思ってあれこれ探してみると、何とイスタンブールからドイツまではかなり多くの便が就航しているのです。イスタンブールまでは、仁川でトランジットをして、機内に閉じこめられる時間は10時間ほどで行けることが分かりました。
「飛んでイスタンブール」というのは、我が世代では知らない人のない曲です。歌の力は大きいなぁと思いました。
イスタンブールで1週間異国情緒を堪能した後は、3時間のフライトでドイツです。
FT-897を入手し直してエレクラフトのT-1という超小型のATUと8mのワイヤーでの運用となりました。
2012年夏に次いで、2013年冬にもドイツへ行くことになった。
行くとなったらもちろん無線もしたい、というのはハムなら誰しも考えることである。
日本とドイツは相互運用協定を結んでいるので、昨年と同様に書類をそろえて、70ユーロを払えば、3ヶ月間有効のDL/JA3VQWの免許が発給される。しかし、ここで時間だけはたっぷりある小生は考えたのだ。
FCCの免許を取ればCEPTの国なら、書類の提出なしでDL/Wのコールで運用できるはず、関ハムの時に近くの会場でVEによる試験もあるので、がんばってみるか、ということになったのである。
受験を決めたのは4月の最初。7月の関ハムの際に試験があるのも確認して、申し込みを済ませて、連日連夜オンラインで提供されている模擬試験を延々と解いた。
その甲斐あって、当日は一日でTecnicianからAmateurExtra?まで取得することができた。
2013年7月22日にAF7CPというコールが発給された。このままでもいいのだが、AmateurExtra?ならVanityCall?で4桁=1×2はほとんど空きが出てこないので、2×1のコールから、CWで打ちやすそうなNJ3Qを第一候補に申請。オンラインで手数料の15ドルも支払って、予想サイトの情報では、8/9に小生にそのコールが発給されるだろう、ということになっている。
やれやれと思って、DLの連盟とFCCやARRLの情報を再度確かめると、FCC発給の免許でDLで運用する際にはWの市民権を証明する書類と一緒に、免許証原本を携帯すること……と書いてあるのだ。
まぁ単純に考えれば、DL/NJ3Qで事前の書類提出なしでドイツで運用できるのは、NJ3Qのライセンスの持ち主がアメリカ合衆国の市民権を持っている場合だけ、ということである。
しかし、さらにあちらこちらのサイトの情報を集めたら、CEPT加盟国がFCC発給の免許での運用に関して国籍条項を勘案するかどうかは、その主管庁の裁量にかかっているということもわかった。LAやHB9ではFCCの免許をベースに日本国籍の者にも臨時免許が発給されているようである。
そこで、駄目元でDLの主官庁(日本で言えば総通)へ問い合わせたところ、7日間以内であれば、DL/NJ3Qの免許発給に問題はない……という趣旨の回答をもらっている。3ヶ月以内の場合は……なのだが、それについてはこれからの交渉次第である。
8月9日に申請していたとおりのNJ3Qが発給された。8月末にはユタ州の知人宅から転送された免許状が届いた。7月末に届いたAF7CPの時にも、あらかじめ知っていてもその免許証の簡素なことと、なおかつ携帯用まで一緒に印刷されているという、アメリカ流の合理主義に驚いた。
今回は、DLの主管庁へコピーを送る必要のあるので、掲示用の部分を切り取って、コンビニでコピーをした。
それとパスポートのコピーと、念のために日本の従事者免許のコピー、さらに2012年夏に発給されたDL/JA3VQWの免許証のコピーに、簡単な手紙を添えて、8月29日にDLへ送った。さて、どういう返事がくるのか、楽しみである。
(2013年9月3日)
あわよくばFCCの免許だけで、つまり申請の手間も費用もなしでDL/NJ3Qで運用できるのではないか、と考えていたのだが、少々甘かったようだ。DLの主官庁からの返事は、申請はJAのライセンスをもとにしたものと同じ書類が必要、ただし局免の英文証明などはいらない=これはあたりまえで、FCCの免許は英文!=ということであった。
今回(2013年12月)の滞在は1ヶ月なのだが、孫の守りのための滞在でもあるので、どれだけ運用できるか不明であったので、1週間の申請料なしの1週間の免許申請をした。
2012年の時に比べて手続きは早く、書類を送ってから10日ほどで運用許可書が届いた。
1週間の短い時間ではあったが、今回はウエダ無線で購入した移動用の10mのポール(なんとドイツ製!)とAH-4をもって行ったので、HFの全バンドで50W出力で運用することができた。JAはかすかに聞こえたが、交信できるレベルではなかった。(2014年4月13日)
1969年に開局してからの夢はオーナーロールです。しかしその道は非常に険しく、達成は困難です。
でもまぁとりあえずはDXCCを申請しないと話は始まらないので、まずはLoTWで288分を申請しました。(現行286で、消滅2)。
70ドルほどかかりました。昔のように保険付きの航空便でQSLカード自体を送ることを考えると、非常に簡単になりました。申請から2週間ほどで、アワードとステッカー(300までは25単位なので275)が送られてきました。
QSLカードをJARLに送ったら、ARRLまで送らなくても済むという仕組みも出来ていることが分かったので、紙だけでコンファーム出来ているエンティティと、大昔=1970年から90年ころ=からのQSLカードで消滅エンティティになっているのを合わせて、29枚(現行25、消滅4)をJARLに送りました。
2015年の1月末にはこれらが合算されて、317(現行311、消滅6)になるはずです。
常駐局がいるエンティティでは、C3アンドラとHHハイチができていません。もちろん、それ以外にも出来ていないところは山ほどもあるので、次のサイクルまでは十分に楽しめそうです。(2014年12月29日)
世の中には日本の感覚では信じられないような「国」が存在します。その中のひとつがイタリアの中にあるマルタ騎士団です。
ネットの情報によると、国連にもオブザーバーとして参加しているということです。歴史的には何と十字軍の遠征まで遡るとか。
ローマ市内にビルをひとつ持っていて、そこがイタリアから治外法権を認められていて、そのことによりDXCC上でも1エンティティになっています。
ここ数年は年末年始と七夕の頃に1週間ほどQRVがあります。
2012年の七夕にはたまたまDLに滞在してそこで1Aの信号を聴いたのですが、いやはやすごいパイルでした。
今回は12/28~1/6という例年にない長丁場で、しかもアメリカ西海岸とJAとの交信に注力するということで、期待を持ってワッチを始めました。
たしかに12/28の夕刻から、ハイバンドで聞こえてきたのですが、まぁものすごい弱さに加えて、どパイルでした。
可能性は非常に低いとは思ったものの、呼ばない限りは絶対に交信は出来ないのですから、毎日の夕刻と早朝に狙いを定めて、じっと我慢の子でありました。
ようやく交信できたのは何と9日目、1/5の夕刻でした。
FT-DX5000のモニタ上のパイルの山から少し離れて、ご本尊から5kHzほど上で呼んだ時に、「QW?」と返ってきたので、フルコールを2回送って交信が成立しました。これでDXCCは323/311になりました。(2015年1月6日)
DXCCの申請のために、紙QSLだけでコンファームできているエンティティをチェックしている時に、数千枚のQSLカードの束を見ながら、これだけあれば知らないうちにWAZもできているだろうと調べたのですが、ZONE2だけがないのです。
各局のブログなどをみて、どなたもZONE2とのQSOには難儀をされているのは知っていました。
VE2の局とも10QSOほどはしていて、そのうちの何局かからはQSLカードも受け取っているのですが、すべてZONE2以外でした。
ここは局数が非常に少なく、かつ北極経由の伝搬になるので、JAからは交信自体が難しいのです。
百均で入手したハガキフォルダーに1から40まで番号を付けて、WAZ申請に備えていたのですが、ようやく2015年1月10日の朝に、VE2CSIと交信することができました。0700JSTころから21SSBでJAサービスが始まったのですが、1から以北の局ばかりピックアップされていました。
0720ころに一旦フェードアウトしたようだったのですが、まだ呼んでいる局が聞こえるので粘ってみました。
すると0735頃から急にSが上がり、わが方の設備でもS2から3を振るようになり、0740に交信ができました。
この局のQSLマネージャーは非常にしっかりした団体なので、カードを手に入れることは間違いないと思います。これでようやくWAZを申請できます。
(2015年1月11日)
情報によると、2014年10月に、日本の総務省が交渉していたCEPTの相互承認がOKになったとのことです。残る問題は日本国内の法令との整合性をとって、必要ならば法の改正などをして、晴れて日本もCEPTの一員になる、ということらしいのです。
しかし、他国特に欧米諸国のアマチュア無線関係の法体系と、日本のものとは大きな食い違いがあります。
現在の相互運用協定でも、たとえば私が運用したドイツと日本でもかなり異なっています。
アメリカと同様にドイツもアマチュア無線の免許は包括免許です。従事者免許と局免許という区別などありません。
2012年のDL/JA3VQWの場合も、2013年のDL/NJ3Qの場合も、ドイツのアマチュアバンドの一覧と、遵守すべき法令の抜粋が載った小冊子を送ってくれて、それですべてOKです。もちろん、移動する局と固定する局などという妙な区別もありません。
ところが、ドイツのハムが日本でアマチュア無線を運用しようとすると、局免許の申請をしなければならないのです。短期免許というものも存在しませんから、非常に煩雑な手続きをする必要があります。
国と国との条約は互恵が基本です。日本とドイツの間の相互運用協定によって、私がドイツで受けたサービスと同じ内容を、ドイツのハムも日本で受けられるようにしてこそ、本来の相互運用協定のはずです。
日本が国内法の改正などを行ってCEPT加盟となれば、JA3/DL1○△□という局が日本国内で「手続きなしで」運用できるようになるはずです。
法律に素人の私が考えても、ここまで行くには相当の作業が必要でしょう。それを総務省がしてくれるのでしょうか? あるいはJARLが働き掛けて総務省を動かしてくれるのでしょうか? 非常に不安であります。(2015年1月13日)
ネットの情報を検索したところでは、今回の合意は長期滞在者に関するものであるのが分かりました。つまり、日本の1アマの免許を持っている場合には、CEPT加盟の国々で3ヶ月以上滞在する場合に、現地の試験を受けることなく、日本の免許をもとにアマチュア無線の免許が発給される可能性がある、ということです。
たしかにこれも大きな一歩ではありますが、短期滞在者が、手続きなし(あるいは簡単な手続きだけで)で、JA3/DL1□△○というコールサインで日本国内から運用できる状態には、まだまだ大きな壁が存在します。
もっとも大きな壁は従事者免許と局免許が別に存在する、という日本の免許体系です。日本の役人が考えている(憂慮している??)のは、CEPTで短期滞在者に対して、手続きなしでアマチュア局の運用を許可することが、包括免許への道を開いてしまうのではないか、ということでしょう。
包括免許になって、局免許申請という手続きがなくなると、保証認定というばかげた制度で、紙の上の作業だけで手数料が転がり込んでくる組織の人たちも、困る訳です。
2020年には東京で二回目のオリンピックが開かれます。それまでにCEPTに加盟して、短期滞在者に簡便な手続きでアマチュア局の運用ができるようにすることも、「おもてなし」であると考えます。
(2015年1月15日)
今年の11月にWRC2015が開かれます。前回のWRC-12で出た議案のひとつ、5MHz帯に新しいアマチュアバンドを全世界的に認めるかどうかということも、正式な議案になっています。
すでに10年ほど前から、欧米諸国の一部で5MHz帯がバンドとして、あるいはスポット周波数としてアマチュアに配分されています。
5MHz帯は、HFのローバンドである3.5MHzと7MHzの中間にあたり、伝搬的にも興味深いところです。
WARC79で10MHz、18MHz、24MHzが開放されてから30年以上になりますが、それまでのClassicBand?ではDXが入感していない時に、18や24で楽に交信が楽しめることがあります。
WRC2015の正式議題になったと言うことで、総務省は暫定的な考えをまとめ、それに対するパブコメを募集しています。
総務省は5MHz帯の分配には反対しています。
我が国の暫定見解> 5250-5450kHz は、我が国において固定及び移動業務に一次分配で割り当てられ、使用さ れている。よって、有害な混信の排除を含めたアマチュア業務と既存の一次業務との両立 性が達成できるまで、本周波数帯における二次的基礎でのアマチュア業務への新規分配に ついては、適当でない。 ITU-R における各国の研究結果は、統一見解の合意に至らず、異なる結論の研究結果が併 記されているため、分配が行われる場合には両立性が確保されるようアマチュア局の運用 に適切な制限を求める。
この暫定見解を見る限りでは、WRC2015で5MHz帯にアマチュアバンドが新規に認められても、日本で使えるようになるには、相当な時間が掛かりそうです。
アマチュア無線関係のパブコメ募集があった際には、ごまめの歯ぎしりと分かっていても意見を出しています。
今回も5MHzの開放に向けてWRC2015で賛成して欲しいという意見を提出しました。
パブコメは、はっきり言って役人のアリバイ工作です。アマチュア無線関係でも、パブコメの集約で総務省の施策が変わったことはほとんどありません。
パブコメを募集した段階で、すでに結論は出ています。「国民の皆様のご意見もたまわりました。」というポーズを付けるためのものが日本のパブコメです。
しかし、国の施策に直接意見を述べられるということは、貴重なチャンスです。役人の中にも心ある人はいると信じて、次のパブコメ募集にも意見を出すつもりです。
(2015年1月15日)
いやぁ情けない結果に驚きました。もちろんパブコメ=国民の皆様から広くご意見を賜りました、というアリバイ作り=は、結論ありきの茶番劇であるのは、分かっていることです。
情けないのは、今回のパブコメ募集に議題1.4=5MHz帯のアマチュアへの2次基礎での配分=に意見を出した人が4人しかいなかったということです。
意見を出しても総務省の考えが変わらないのは分かっています。しかし、それでも意見を多数出すことが、将来的なバンドの拡張や防衛につながるのだと考えます。
さらに情けないのは、意見を出したのが個人だけであったことです。JARLは意見を出していません。
まぁJARLはWRC2012の時に、IARU加盟の他の団体がアマチュアバンド拡張や防衛の動きをしたのに対して、それを妨害する動きをしたということですから、今回も総務省の考えと同じなのでしょう。
暗澹たる気持ちになります。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000337778.pdf 参照
(2015年3月7日)
2015年11月に行われたWRC-15で、5MHz帯=二次業務、5351.5~5366.5の15kHz帯でEIRPが15W=が全世界規模でアマチュアに配分されました。
先行してアマチュアに配分している国の状況に比べると、出力の制限が非常に厳しいものですが、WARC79以来の、HFにおける新しいアマチュアバンドの成立です。
問題は、開放に終始反対してきたJA(最終的には反対を引っ込めたようですが)において、実際に5MHzが開放されるかどうかです。
WARC79で二次業務として開放された10MHz帯を、いまだにアマチュアには認めていない主管庁もあります。今後の動きに注目したいと思います。
ちなみに、RSGBはWRC-15の開催期間、連日現地からのレポートを掲載していましたが、JARLは12月26日現在、WEBでひとことも触れていません。
まぁパブコメも出さなかったのですから、「5MHz??、そんなの知らないよ!」という態度を今さら崩せないのかも知れません。ひょっとすると、JARLの上層部は、本当に何も知らないのかも知れません。(2015年12月26日)
2015年10月から12月にかけて、3度目のドイツ滞在になることが決まりました。
まずは臨時免許の運用許可を得なければと、5/13に申請書とFCCのライセンス(NJ3Q)やパスポートのコピーなどと、3ヶ月以内の運用許可の手数料の70ユーロを、DLに主管庁に送りました。
前回(2013年)は1ヶ月ほどでDL/NJ3Qでの運用許可書が届きましたので、のんびりと構えていたら、5/26に朝に、配達証明(書き留め??)で、少々分厚い書類が届きました。
開けてみると、送った書類と70ユーロが返されてきていたのです。申請書に不備でもあったのかと、心配になったのですが、何と、今回は、「FCCの免許もあって、CEPTのT/R61-01にも該当するので、申請も手数料も不要で、3ヶ月以内ならDL/NJ3Qで運用してもOK」という書類が添えられていたのです。
驚きました。DARC(DLの連盟)のHPの説明は、前回とまったく同じ内容です。添えられていた文書の差し出し人は、前回の時に、メールで遣り取りしたのと同じ人物でした。
ということは、担当者の裁量でこのような決定がなされたのではなくて、DLの主管庁の内部で、FCCの免許所有者でなおかつアメリカの市民権のない者に対する取り扱いに、何らかの変更がなされたのだと思われます。
ひょっとすると、JAの1アマのCEPT認証との関係があるのかも知れません。(2015年5月27日)
2015年の6月に中古無線機本舗でUTV-2400Eの出物があったので入手。動作確認が出来ていないという物であったので、製造元のマキ電機へ送って、動作確認と調整をしてもらった。
他の大手の無線機メーカーの場合は、調整だけでも手間賃として15000円ほどは取るのだが、マキ電機は非常に良心的で送料を入れてもたったの3000円であった。しかも後払いなのだ。驚きもし、感動もした。
近隣にレピーターがあって、稼働しているはずなのだが、まだアクセスは出来ていない。
2015年の6月にFT2Dの増設申請をしたばかりなのだが、UTV-2400Eを第3送信機(TS-2000VX)に接続する、という形での変更届をした。もちろん電子申請LITEである。
まぁ2週間もしたら「審査終了」になって、免許証送付用の封筒を送ったら、はれて2400MHzまで載った新免許証が来る、と考えていた。
ところが1週間ほどしたら、連絡があるというメールが来た。審査終了にしては早すぎると思って通知書を読むと、何とトランスバータを付けた場合は、その送信機は技適を外れるので、工事設計書にすべての項目に記載して、補正してください、ということであった。たしかにそうなのかとも思いながら、親機=TS-2000VXの場合は、終段の石はバンドによって異なっているので、かなり面倒だなと思い、また136kHzの際には、トランスバーターの系統図の中に終段の石や電圧、入力などを記載しただけでOKになったという記憶もあったので、総通へ電話をしてみた。
結論は変わらず。親機のすべての項目に記載せよ、ということであった。
お上には逆らえないし、免許状送付の封筒の送料だけで済むので、FireFox?を立ち上げて、ぽちぽちとチェックを入れ始めた。
もちろん手許にはTS-2000VXの説明書(PDF)を置いて、免許申請のひな形などを見ながらの作業であった。
何度か失敗=周波数帯の漏れ落ちや、チェックのし忘れ=をしながらも、何とか7/14に補正をして再提出をした。
もっとも困ったのは、変調の形式である。これは電子申請のHP上のタブで選ぶのだが、SSB=平衡変調、AM=低電力変調、FM=リアクタンス変調という既製の概念では、該当する物が出てこないことであった。
J3EにはSSBという項目があったので、まずはそれを選んだ。A3E(AM)はよく分からなかったので、適当なものを選らんだ。(正しくはA3Eは「その他の振幅変調」を選ぶ)F3Eもリアクタンス変調というのが出てこなかったので、当たりそうな物を選んだ。まぁだめならまた補正しろと言ってくると軽く考えた。
しかし、送信してから、そう言えば電波形式のところで、F1DやF2Dにもチェックを入れたが、F1D=パケット、F2D=FMでのトーン送出は第3送信機ではなくて、第1送信機に付加装置を付けるかたちで免許されていたのではなかったかと心配になった。
おまけに、補正して再提出する場合には、通知書に記載されていた番号も打ち込む欄があったのだが、そこも未記入であったことに気付いたが、もう申請書は近畿総通へ送った後であった。
かなり心配もしたのだが、細かいミスは総通の担当者が直してくれたのか、あるいはチェックされなかったのか、7/28になって、審査終了となった。
後は新免許状の到着を待つばかりである。(2015年7月28日)
2015年10月18日から12月15日まで、BraunschweigからQRVしました。
子守りの合間を探しての運用だったので、毎日30分から1時間しか無線機の前に座れなかったのですが、11月末のCQ-WW-CWにも参加して、合計で420QSOできました。
今回も残念ながらJAとの交信はできませんでした。南米とは1局だけ交信ができて、オセアニアができればWAC完成だったのですが、全然だめでした。
交信の大部分はEUですが、今回はカリブと4QSOができました。しかも、JAで聞くのとは段違いの強さでカリブの信号が入感しているのは、驚きでした。
当然、カリブでは北米南米はもちろん、EUの信号もがんがん聞こえているのですから、カリブの局がJAをピックアップするのは、相当に困難というべきでしょう。
JA3VQWでは、QRP(5W)でカリブの数エンティティとも交信できているのですが、こちらの非常に弱い信号をキャッチしてくれた相手局に感謝したいと、改めて思いました。
今回のQRVでは、EUの局のCW受信能力もJAと同じように、全体的には低下していると感じました。DL/NJ3Qの「/」の符合を解読できない局も、見受けられました。前回、前々回にはなかったことです。CW-Skimmer などを使用している局もあるようで、とにかくスタンバイのタイミングがどうにも妙なこともありました。
EUの「普通の局」の設備は、やはり100WにDPやVerticalというレベルのものでした。TRXも一昔前のTS-930などもまだまだ現役で使われていました。
物を大切にするという精神が、アマチュア無線に関しても生きているように感じました。(2015年12月26日)
「変えた」と言っても形式は今までと同じくLongWire?です。
1987年2月(なんと29年前!!!!)に、今住んでいるマンションの塔屋から屋上床面まで、25mほどのワイヤーを引き下ろして、それをエレメントにしました。
数十回の台風襲来にも耐えてきたのですが、近い将来に塔屋の鉄部の修繕工事が行われることになり、また塔屋での作業(マンホールのはしごをよじ登って塔屋に上がっての作業)が、いつまで続けられるのかという体力的な課題も浮上して、塔屋以外の場所、つまりは屋上床面だけで設置できるアンテナに換えることにしました。
多バンドのGPは国産の物も幾つか市販されています。しかし、5m程のラジエーターの真ん中にトラップのあるものは、どう考えても飛びが良くないようですし、また風にも弱いのです。
バターナットというトラップコイルを使わないで多バンドを実現したGPがあります。しかしそれの調整はかなり面倒なのです。
送信機が手許にあって、なんどもラジエーターやラジアルの長さを変えないと、多バンドでのQRVは無理です。
そこで思い至ったのが、やはりLW。LWというよりも、屋上床面にルーフタワーを建て、そこにグラスファイバーを設置し、それに電線を沿わせたものをラジエーターにし、ATUで全バンドに出ようという作戦です。つまり、釣りざおアンテナを垂直に建ててさらにラジエーターを伸ばした形にしようと考えました。
29年間風雨にさらされたデベグラスワイヤー(5mm)は、さすがに少々固くはなっていましたが、内部には全く劣化はありませんでした。鉄線よりも丈夫という宣伝は嘘ではありませんでした。
今回もルーフタワーやポールのステーには、迷わずデベグラスワイヤーを使いました。
今までに、AH-4、EDX-2、HC-200ATFと各社のATUを使ってきました。それぞれに特長があるのですが、今回は屋上にATUも設置する、つまり給電点もベランダから屋上に上げて、局内RFIの防止と、屋上からベランダまでマンション筐体に沿って引き下ろしていたラジエーターの部分をなくすことで、妙なノイズも減らそうと考えました。
問題は、屋上ではアースが取れないのではないかということです。ドイツでのAH-4とFT-897で運用した経験から、2.5m+5m+10mのラジアルを4組作ってATUから四方に伸ばせば良好なラジアルとして動作するのではないかと考えました。
ラジエーターが12mほどでラジアルが4組という構成では、30mbがどうしてもチューニングできませんでした。
古いマンションやビルには、メンテナンスの際に屋上からゴンドラを吊り降ろすための丸環(まるかん)がコンクリートに埋め込まれています。
屋上にテスターを持っていき、ベランダのアースに接続してある電線との間の抵抗値を測ると、ほぼゼロでした。つまりは丸環のところでATUのアースが取れるということです。
丸環にアースを取り、さらに2.5m+5m+10mのラジアルを2方向に伸ばして物の付けて、1.8から28までチューニングできるようになりました。
他社のATUと同じくCG-3000も屋外設置のATUですが、同軸コネクタ、電源コネクタ(4ピンマイクコネクタ)は、むき出しです。もちろんコネクタと筐体の間には、防水のシーリングが薄く塗ってはありますが、屋外に設置した場合には、コネクタが腐食するのはあっという間のはずです。
海外の優秀な製品(K3など)を輸入して販売しているEDCが、なぜこのような仕様のまま販売しているのか不明です。たしかに他社製品に比べて、安い(定価ベースです。EDCの製品には値引きはありません)こともありますが……
AH-4などと同様のケーブルの引き出しにするために、「ケーブルグランド」という部品を購入しました。取り付け穴が16mmのものです。1個80円です。CG-3000のもとの穴を少しやすりで削るとすんなりとはまりました。
EDCから購入したCG-3000は筐体にはMコネクタ(メス)とコントローラー用の4ピンマイクコネクタ(メス)が付いている状態で、防水加工をしないと、とうてい屋上では使えないものであったのですが、http://tbhd.jp/shop-cgantena/ で販売しているCG-3000は、AH-4などと同様に、防水コネクタがついています。
これからCG-3000の購入を考えている方への情報です。(2016年3月14日)
V/Uのアンテナであれば、アンテナの評価は簡単にできます。しかし、HFのアンテナの場合は、飛び具合は電離層のご機嫌との関係が大きいので、以前と比べて良くなったのか悪くなったのかを確かめるのは、非常に難しい作業です。
もちろんロングワイヤーから3エレの八木に変えたのであれば、劇的な飛びの違いが認識出るのだと思うのですが、ロングワイヤーの長さが少々変わり、設置場所が少し変わった場合の飛び比較はかなり難しいのです。
定量的な比較は不可能ですので、考えを変えて、要するにDXができればいいと発想を変えました。
ここ10年ほどは、大きなペディションがあれば、なんとかQSOはできています。
ちょうど、2016年1月上旬にはZL9から、また中旬からはKH5から久々にQRVがありました。これらができたら、今回のアンテナもまぁそこそこは動いていると判断しました。
ZL9とは21MHzと18MHzでQSOができました。KH5は7/10/18/21/24のCWが100Wで、28RTTYが140Wでできたので、前のアンテナと同様(ハイバンドはすこしましになった??)の飛びのようです。(2016年1月16日)
1月からK5P、VP8STI、VP8SGIと立て続きに大きなペディションがありました。VP8STIはほとんど本体の信号を確認できなかったのですが、K5Pはもちろん、VP8SGIに関しては、かなり聞こえていました。
ZL9Aと違って、VP8SGIはかなり好意的にJAを拾ってくれました。ところが、ワッチをしていると、数回コールバックがあっても出てこない局が増えたのです。
わが方の貧弱ロングワイヤー(短くなったので、ミドルワイヤーです)でも、しっかりとVP8SGIの信号が聞こえている状況でも、そういう場面がたくさんありました。
これはJAだけではなくて、2015年末にDLで2ヶ月運用した際にも感じました。
全世界的に、CWに受信能力が落ちているのです。オペレーターの年齢層が上がったことも関係していると思うのですが、どうもそれだけではないように感じます。
CWの送信にキーボードとPCのソフトを常用している局も増えていますが、受信に関してもPCのソフト+サウンドカードでやっているという局が出てきたようなのです。
普通の交信をしていても、こちらが送信を終えてから相手が送信を始めるまでに、妙な「間」が空くことが増えました。
アマチュアの免許の要件にCWの送信能力の証明がなくなったのは20年以上も前ですが、受信能力の証明がなくなったことの影響が、現実に出てきたように感じています。(2016年2月8日)
わが方では、アンテナ切替器にはMFJ-1701(6回路)を使っています。FT-DX5000、FT-991、FT-817、TS-2000SX、IC-R8500、IC-R75のHFアンテナの切り替えです。
最終AFはヘッドフォン(KenwoodのHS-5)で聞くので、各リグのAF出力(外部スピーカー端子か、ヘッドホン端子)を、1-1-6のロータリースイッチで切り替えています。MFJ-1701を5番に合わせて、AFの切替器も5番に合わせると、FT-DX5000で運用できるという簡単なシステムです。
AFの出力の切り替えですから、何の問題もない筈なのですが、伏兵はどこにでも存在します。
FT-DX5000の電源は内蔵AC、IC-R75とIC-R8500がソーラーパネルで充電したシールドバッテリー、FT-817、FT-991とTS-2000SXは13.8VのDC電源です。
DC電源(第一電波の40A)は、レピータ装置やVoIP用のV/Uの無線機にも繋がっています。
各リグ(総計で10以上)の筐体は繋がっているのですが、まさに微妙な電位差は存在します。それがAFへのハム混入という悪さを生じました。
FT-991を単体で使用中は、AF出力(ヘッドホン端子も背面の外部スピーカー端子も)にはハムはありません。ところがAF切替器を通すと、120Hz(電源の60Hzの2倍)のハムがかなりのレベルで乗ってきます。
共通のDC電源ではなく、まったく別系統の電源にすると問題は消えます。しかし、それではシャック内の物が増えすぎるのでだめです。
FT-991の出力HPFを入れたりあれこれの試行錯誤の末に、ようやく600Ω:600Ωのトランジスタ用の低周波トランスを入れて、FT-991のAFのアースラインとAF切替器のアースラインを絶縁することで問題を解決できました。
そう言えば、RTTYのインターフェースでも、RFの回り込みなどの防止にリグとの間をトランスで結合するというのがあったのを思い出しました。
トランス、恐るべし、でありました。(2016年5月9日)
ある日アンテナを見上げると、どことなく違和感がありました。よくよくみると、てっぺんから何かぴろーーんと出ているのです。強風でポールが折れて、エレメントの切れ端が残っているのか? と青くなったのですが、よくよく考えれば、トップからはエレメントは引っ張っていないのです。
まずは状況の確認と屋上に上がると、ポールが短くなって、中に通していたデベグラスワイヤーが天辺から出ていたのです。
アンテナのポールには、エレクトロデザインで購入した10mのグラスファイバーポールの、下から6.7m分ほどを使用しています。
もともと移動運用のための物で、ステーで下向きの荷重がかかるとテレスコーピング構造の重なり箇所の「がんばり」が効かなくなって、上のポールが下に落ちてしまうのです。2箇所でこういうことが生じていました。
これが4月下旬でした。
この際には、1月のアンテナ建設時と同じ状態で復旧させたののですが、10日ほどして、またまた短くなったのです。
重なり部分の上下にホースバンドを取り付けました。室内で他のメーカーのポールでの実験では、これで上部のポールの落下は防げるはずです。(2016年5月15日)
2016年6月26日に行われた第5回社員総会の席での答弁で、JARLはWRC-15で開放された5MHz帯の国内での開放に関して、総務省に要望をしたということです。
社員総会までに半年以上もこの件を報告しなかったのは、WRC-15では総務省と一緒に行動しているので、勝手に報告などはできなかった、という説明をしています。
社員総会の正式な議事録が出ていないのですが、このとおりだとすると、JARLには全く独自性というか独立性がないと言わざるを得ません。
JARLの代表がWRC-15に参加する費用は当然JARL持ちです。JARLは日本のアマチュア局の利益を実現する団体です。国際会議で総務省の代表と一緒に行動するのはまぁ理解できるとしても、JARLは独立した団体として意見の表明をきっちりとすべきです。
総務省に対してあまりにも弱腰では、JARLの思惑(総務省のご機嫌を損ねて、規制がきつくなるのを避けたい)とは裏腹に、総務省からまともな交渉相手とは捉えられなくなります。(2016年07月05日)
7/16、7/17の関ハムの記事が、JARLのWEBに載りました。昨年よりも分量が増えて、なかなか詳しくいろんなことが紹介されています。
しかし、読み進んでいるうちに何か違和感を感じました。何が違うのか気になって2015年の関ハムの記事と比べてみました。
2015年にはYaesuがFT-991を中心にした技術講演会を開いていますが、それについては他の講演も含めてさらりと触れられているだけです。もちろんメーカー名はありません。
ところが今年の記事ではIcom(アイコム)の名前も記載しての記事になっています。
何かの意図があっての違いではないと思いたいのですが、こういうところに、現JARLの「無意識」が現れているような気もします。(2016年07月21日)
WRC2015で全世界的にアマチュアに開放された5MHz帯を、総務省は開放しない、という案を出しました。
WRC-12の時から、日本政府は一貫して5MHz帯のアマチュアへの開放に反対してきたので、予想されたものです。
非常に残念です。
しかし、HF帯で全世界的に開放されたバンドを、一国だけが開放しないというような、勝手なことは、現実的には意味がありません。
もちろん二次業務ですから、日本のアマチュア局以外の一次業務の局からの混信があっても、他国のアマチュア局は文句が言えないのですが、現実にはこの周波数帯は、アマチュア局以外の局は使えない状態になると思われます。
そういうことは総務省も十分理解しているのでしょうが、どういう理由か(たぶん面子にこだわっただけ)アマチュアに配分しないという案を出しました。
パブコメ募集中なので、今回もごまめの歯ぎしりを覚悟で意見を出しました。
先般の社員総会の理事は、「5MHzの開放に向けて、総務省にお願いしている。」と答弁してます。
行政相手の交渉事では、正式な発表が出来ない段階では、こういうぼかした表現でニュアンスを伝えることがあるのですが、どうもこの答弁はまったくの嘘であったのか、あるいはJARLの意見など総務省には全く影響力を持っていないかのどちらかです。
JARLはパブコメも出せないと思われます。そのことを追求されれば、「口頭で申し入れてあるから」と逃げるでしょう。
社員総会から2ヶ月も経つのにまだ社員総会の議事録が出ません。さて、C4FMレピーターの件とともに、5MHz帯に関する答弁も、どのように記載されるか注目したいと思います。(2016年08月27日)
先日、いつもと違う方向からマンション屋上のアンテナを見ると、どうもいつもよりも低くなっているような感じでした。
屋上に上がってみると、やはりポールのどこかが短くなっているようでした。
お天気と風の予報に注意しながら修繕を行うことにして、ホースバンドなどを購入しました。
前回の修復作業は2016年5月15日に行いました。その際に、ステーの取り出し箇所から下にある。3箇所のグラスファイバーポールの接合部を、ホースバンドで締めました。
そのどこかが緩んで、細いほうのパイプが下に落ちたのだろうと思ったのですが、違いました。
今回は、ステーの引き出し部分が下に10cmほど落ちていました。
ここはホースバンドなどで脱落を防止していなくて、針金で締めただけなのです。
元の箇所に戻して、下へずれないようにホースバンド2本で締めました。
(2016年09月05日)
USB端子から電源を取って稼働させる機器が増えました。わが方でも、ラズベリーパイを中心に、かなりのものが稼働しています。
それらに電源を供給するのは、ACアダプタです。2つから4つ程のUSB端子が付いていて、数千円というものです。
かつてラズベリーパイを最初に動かしたときにACアダプタはひどいものでした。HF帯全域にS9以上のノイズをまき散らしていました。
さすがに昨今はそこまでひどいものは減ったのですが、定格ぎりぎり=例えば合算で2.1A出力可能のACアダプタにラズベリーパイを2個繋ぐ=の使い方をすると、急にノイズが増える物のあります。
わが方では、バッファローのBSMPA16BKがそうでした。
他にもACアダプタが数台「空中配線」になっているので、それらかもHF帯に多かれ少なかれノイズは出ていると判断しました。
そこで、5Vの大電流電源を作成すればいいのだ、と考えたのですが、意外に少ないのです。無線機屋さんで売っているのは、13.8V用のものが主流です。モジュール(デスクトップPCの電源部のようなもの)では14A出力、基板では20A出力のものが、簡単に入手できるものでは最大のようです。
今回はTDKのRWS100B-5にしました。
問題はUSB-Aの端子です。パネルに付けるUSBコネクタも存在しますが、非常に高いのでパス。USB延長ケーブルを購入して、それのメスだけを使うことにしました。格好はよくありませんが、簡単です。BSUAA215WH を6本入手しました。
HF帯の雑音も少々減ったようです。何よりもACアダプタが「空中」に何個もぶら下がっている状態を解消できたのが、喜びです。
コンピュータと機器の接続にはまだまだUSBケーブルが必要なのですが、WiFi?の爆発的な普及で、少々珍しいUSBケーブルは、市場から消えつつあるようです。
今回入手した延長ケーブルも、ネットの店では投げ売り状態になっています。
(2016年09月19日)
総務省がWRC15を受けての国内のバンドプランを出して、それに対するパブリックコメントを募集していましたが、10/14に、意見集約と総務省の考えを公表しました。
WRC15で全世界的に2次基礎でアマチュアにも5MHz帯が割り当てられたのですが、日本は一貫して(WRC12から、ずっと)5MHzのアマチュアへの開放には反対してきました。
今回のパブコメ募集に際しての考えでも、配分しないとなっていたのですが、発表された「考え」では、「今回分配された二次業務のアマチュア業務が既存の無線業務に有害な混信を生じさせない条件などを検討した上で、今後検討」となっています。
http://www.hamlife.jp/2016/10/17/soumusyo-wrc15-pubcome-bosyu-3/
行政がこういう表現をするときは、内部的には開放に向けての作業が始まっていると思って間違いはないと思います。
少々、希望が見えてきました。(2016年10月18日)
以前からJT65/WSJTというモードの存在は知っていたのですが、CQ誌2016年12月号の記事をみて、ちょっとやってみるかという気持ちになりました。
FT-991をQRP専用に使うだけではもったいないのと、PCとの接続にも、この機種であれば、USBケーブル1本で済むと分かったからです。
デジタルモードですが、RTTYともPSK31などとも異なります。設定が済んで、送受信ができるようなれば、後はほぼコンピュータ任せです。
CQを出している局を見つけてそれに応答するのもソフト上のボタンを押すだけです。相手が自局の信号を受信できたかどうかは、1分後にしか分かりません。その間は、コンピュータで違うことをしていたり、お茶を飲んだり、というある種の「お気楽モード」での無線です。
このモードでもパイルアップは存在するようですが、そういうことは主流ではなく、簡単な設備とQRPでのんびりと無線を楽しむ、という新しいやり方のようです。(2016年11月23日)
CQ誌2016年12月号の、33ページ、およびQEX-Japanの21号(2016年11月発売)の28ページに興味深い記述があります。
VoIPのサブバンドが法令で決められてから、WiRESXやIRLPなどのVoIP無線は、VoIPの区分で利用するように言われてきました。CQ誌などでも、私が知る限り、そのように記述してきたように思います。
しかし、ID-51plus2の発売によって、D-Starでも個人がノードを立ち上げることが簡単に出来るようになって、現行のVoIP区分の狭さでは、もうどうしようもない、ということをCQ誌の編集部も理解したのかも知れません。
あるいは、穿った見方をすると、IcomがJARLに働き掛けて、このような表現を雑誌などでしてくれるようにしたのかもしれません。
いずれにしても、正規の局がほとんど活用していない全電波形式の区分をVoIPに使うことは、正しい判断だと思います。(2016年11月24日)
JT65などのデジタルモードを増やすために、電子申請Liteで、変更申請をしました。
電子申請は、制度が始まってまもない頃からお世話になっています。紙で申請するよりも簡単で時間も掛からず、しかも安いのです。技適の無線機の増設や、再免許などは、あっという間に手続きが終わります。
しかし、デジタルモードなど、付加装置を付けるような場合は、電波形式(包括形式ではなく、A1A……という個別の電波形式)や周波数、終段の素子などのデータを、すべて入力せねばなりません。
今回は、将来使うかも知れないデジタルモードも含めて、一挙に申請をしたので、28MHzから上のバンドでは、電波形式の入力が14項目にもなる場合がありました。
入力した内容を、画面でチェックするのは非常に困難です。
WやEUで行われている包括免許になってくれれば、総通の係りの方の負担も、アマチュアの負担も激減すると思うのですが、その可能性はほぼゼロのようです。
包括免許が無理なら、せめて周波数や電波形式が変わらない場合には、届けや申請なしに運用ができるようにできないものでしょうか。例えばすでに何かのデジタルモードでF1Dの免許を得ている場合には、同じ電波形式になるモードは、手続きなしで運用OKにする、ということです。
ガラパゴス状態の日本の免許制度ですが、法の改正というおおごとではなく、省令や規則の改正で、役所も末端のユーザー双方に大きな利益をもたらせることは、まだまだあると思います。
JARLの奮闘に期待、と書きたいところですが、現状のJARLには無理でしょう。(2016年12月06日)
JT65の電波形式はF1Dです。他のFで始まるモードと同様に基本的に弱肉強食です。6dBの差があると、弱い波は完全にマスクされてしまいます。
パイルになった状態で、同じ周波数で重なって呼び合った際にも、それぞれの局の信号が識別できるのは、意外にもSSBです。感覚的には15dBから20dBほどの差があっても、うまくいくとピックアップされる場合があります。
もちろんCWでは同じ周波数で重なって呼び合った場合には、共倒れになります。
JT65では、CQを出している局を同じ周波数で呼んだ場合には、確実に強い局だけがデコードされ、交信ができます。
1回の交信に最低でも4分から5分掛かるので、その間にコンディションが下がる場合もあります。弱小局=JT65の場合には出力は多くても20W前後なので、弱小局とは、アンテナが貧弱な局ということになります=には、なかなかチャンスが回ってこない感もあります。
オーディオ関係の改善をして、デコード率を上げ、他局と重ならないように呼ぶのが、JT65での楽しみかたなのかも知れません。(2016年12月07日)
今回のJT65にしても、RRS-Piにしても、コンピュータと無線機の間はUSB ケーブル一本の接続でOKです。FT-991やTS-590では無線機本体に、USBでCATが操作できるデバイスと、USBオーディオデバイスの両方が入っているからです。
昨今の無線機はみんなこのような仕様になっているのかと思って、Yaesuの新製品FT-891を調べていて驚きました。
関ハム会場で配られた暫定的なチラシでも、またその場にいたYaesuの方の説明でも、891は991と同様の仕様になっているということでした。
ところが実際に発売されたFT-891のUSB端子では、オーディオ関係の入出力はできないのです。
どうやら数百円のコストダウンのためにそのようにしたようなのですが、信じられないようなバカなことをしたものだと呆れました。
USBケーブル一本でデジタルモードが運用できることを経験すると、オーディオの入出力で2本+RS-232Cのケーブルで1本=計3本のケーブルをコンピュータと無線機の間につなぐことなど、煩雑でしたくなくなるのです。
(2016年12月07日)
2016年12月8日付けの官報(第429号)で、アマチュアに5MHz帯が開放されることが、決まりました。
先日のパブコメに対する総務省の考えの中に、前向きの部分があったのですが、こんなに早くに開放が決定するとは思いませんでした。
バンドは5351.5--5366.5kHz の15kHzです。
後は、開放の時期と、電波形式、出力などがどうなるのかです。
WRC2015に準拠すると、出力は最大でも15W程度になると思われます。
(2016年12月08日)
と、思っていたら、官報の見にくい表の見間違いでした。すみません。
先日、わが方の移動する局の第一送信機=FT-817(技適 KN294)でも、種々のデジタルモードの運用が出来るように考えて、総通に変更申請を出しました。
1週間ほどで補正しなさいという通知が届きました。何点かあって、そのほとんどは、わが方のうっかりミスでしたが、中に「KN294 では附属装置なしでF2Aが出るはずなので、それを記載するように」という指摘がありました。
F2AはFMを使った音響CWです。簡単に言えばFM送信機に低周波発振器を取り付け、その発振器でモールス信号を出して行う通信、ということになります。
手許のFT-817の説明書には最後のほうに、1200ボーのパケット通信を行う場合にはF2になる、という記述がありますが、その場合には電波形式はF2Dになります。
FT-817でF2Aなどは出ないなあと思って、総通に問い合わせてもお互いに「おかしいですねぇ」というばかりでありました。
八重洲の無線機に詳しい方に聞いたところ、FT-817やFT-897などの機種では、CWでのIDを自動的に出す機能がメニューにある……ということでした。
たしかに、手持ちのFT-817や897、VX-8などの説明書を見ると、IDをCWで出す機能があります。これはFMの際に働かせると、F2Aの電波が出ることになります。
総通では、技適機種に関しては諸元を公表しています。変更申請などで、技適機種の個別の電波形式をチェックするにも、どうやら同じデータを使っているようです。
既設の無線機に付加装置を付けて変更申請などをする場合、無線機の説明書をよく読むのはもちろんですが、
① その無線機の技適番号を確認する
② 「KN294 総通」などとして検索し、総通のデータで確認する。
という手順のほうがいいようです。(2016年12月14日)
数週間JT65で運用してみました。以下、気付いたことを綴ってみます。
F系列の電波なので、基本的に弱肉強食です。雑誌などでは、「小電力でもよく飛ぶ」という紹介がされていて、それは事実ですが、事実の一部分です。
CQを見つけて同時に呼んだ場合には、わが方ではまずどんな局にも負けます。
RTTYをコンピュータで運用していれば、同じインターフェースで、ソフトさえ用意すればすぐに運用ができる、という手軽さがあって、CWやRTTYのパイルで見たり聞いたりした内外の局が、どんどんJT65の運用を始めています。
そのような局の場合には、アンテナも多骨のあるものを使用している場合が多く、10W~20W程度の出力でも、相当なノイズレシオでDXに飛んでいるようです。
JT65を始めればアパマンハムでもストレスなくDXが楽しめる、訳ではありません。1QSOの時間が掛かりすぎます。時間辺りの交信数では、圧倒的にCWのほうが優れています。DXがJAをさばいている場合で、弱小局にも交信のチャンスが回ってくる可能性が高いのは、やはりCWです。
JT65では、コンピュータ任せの部分が多くて、運用テクニックでパワー不足、アンテナの貧弱さをカバーする、ということが少ないのです。
もちろんJT65でもテクニックはあるようで、どのタイミングで呼ぶのか、またどのように他局と離れてDXをコールするのか、というあたりのことが大事なようですが、一旦送信が始まると、結果が出るのは2分後です。
弱小局は、CWを中心に運用しながら、何か他のこと=読書やテレビをみたり、家事をしながらの「ながら無線」でJT65を楽しむのがいいのかも知れません。
(2016年12月16日)
2016年12月20日(火)配信されたJARLのメールマガジンに、何とIcomの展示会のニュースが載っています。驚きました。
D-Star関係で、JARLとIcomがべったりと癒着しているのは感じていましたが、ここまであからさまになってくると、呆れるしかありません。
友好関係にあるJAIAの加盟メーカーの宣伝を載せるのだから構わない、というふうに事務局は考えたのかも知れませんが、非常に妙な感じです。
(2016年12月20日)
リニアモードの衛星通信では、衛星のビーコン以上に自分のダウンリンクが強くならないように、出力を下げて運用するというのがルールです。
そうしないと衛星の受信部のAGCが働いて、どの局も交信ができなくなります。
送信機の出力を下げられない場合は、アンテナのゲインを下げることも必要です。
JT65を1月運用して、せっかく低電力でDXができるモードであるのに、強い電波を出すぎていて、どの局も受信機のAGCが働いて、弱い局が全然デコードできないようになっているような気がします。
出力+アンテナゲインのトータルでの制限=日本のサブバンドに法的な規制が掛かってしまったようなことが起こらないように、紳士協定=マナーとしての規制が必要な気がします。
雑誌などでは、さかんにJT65だと小電力のアパマンでもDXが楽しめる、という記事が載っていますが、それに刺激されてJT65を始めても、現状では「やっぱりアパマンでは無理」と再QRTしてしまう局も出てきそうな気がします。
(2016年12月22日)
CWやSSBでは、運用テクニックで、設備の差をそれなりに(?)カバーできるのですが、JT65ではなかなかうまくいきません。
何しろ呼ぶタイミングもが他局と一緒なのです。周波数をずらすにしても、限度があります。
ワッチするしかありません。PCの前にずっと座っている訳にもいかないので、iPadAir2の中のVNCでLAN内リモコン運用を始めました。こうすると、他のことをしながらのナガラ無線ができます。
DXの神様も時々は判官びいきのようで、12/25には10Wにロングワイヤーで、30mbに出てきたTR8CAと交信できました。
30mbは1530JST前後にオセアニア方面に開くのが分かっていたので、この日もそのつもりで画面を見ていたら、EUと交信しているTR8CAが見えました。
オンフレではなくて、少しずらしてコールして、すぐに応答がありました。
10数分間はアフリカ中央部とJAとのパスが安定していたようで、私の後でJA数局も交信していました。アフリカからのクリスマスプレゼントになりました。(2016年12月26日)
JT65でのQSOが150を超えた辺りから、少しコツらしいものが見えてきました。もちろん水鉄砲組にとってのコツです。
Fという周波数で、A局がB局をコールしています。何度かコールしていますが、B局からの応答はありません。B局は違う局と交信をしています。
CWの場合は、この状況でFの周波数でA局を呼ぶのはマナー違反でもあり、A局から応答があるはずもありません。
しかし、JT65の場合は、A局はまだ「画面」を注視しているはずです。Fと違うクリアそうな周波数でA局を呼び出すのです。
もちろんA局が偶数分奇数分どちらで受信しているかの把握は大切です。
わが方でもこのやり方で幾つか交信ができました。(2016年12月28日)
総務省が、2020年の東京オリンピックに向けて、外国のスタッフが持ち込む無線機の使用に便宜を図るための案に対する、パブコメ募集しています。
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban09_02000213.html
前回=1964年の東京オリンピックの時とは、電波環境は激変しています。いろんな周波数/電波形式での無線が、必須になっているのは十分理解できます。
しかし、何だか釈然としません。
無線LANのように、ほぼ全世界的に共通の規格になっていて、相手国(この場合は日本)の主管庁の定める基準に合致していれば、申請や届けなく使用できる、ということであれば納得できるのですが、どうもそうではないようです。
昨今流行の「特例法」的に、オリンピックとその前後の期間は、非常に甘い基準にしようとしているようです。
そのことも、ITUの定める基準内であればOKだと思いますが、釈然としないのは、そういう特例法や省令の改変レベルのことが簡単に行えるのであれば、なぜ、アマチュア局に対する現行のガラパゴス的免許方法を改善しようとしないのか、ということです。
さらに今回の総務省の案では、全世界的に一次基礎でアマチュア専用となっている2mに関しても、何らかの形でアマチュア以外に開放しようとしていることです。
私は、反対の意見を表明しました。(2017年02月22日)
このパブコメに対しての総務省の考えが提示されました。企業は賛成意見しかないのは分かっていましたが、個人からも賛成意見があって驚きました。
もちろん「我が」JARLは意見を表明しなかったことも判明しました。
(2017年04月05日)
2月末に行われた第32回理事会の報告が、3月初旬にJARLのHPに上がりました。これという内容のないものです。
穿った見方をすれば、物議を醸すようなことがないから、すぐに発表できたのでしょう。
しかし、読んでいて何やら違和感を感じました。
JARLの課題は組織の維持です。簡単に言えば会員の減少をどう食い止めるかです。そのために若いハムへの会費減免などの施策を出していますが、どうも根本の発想が間違っているように感じるのです。
JARL事務局や理事会は、会員が減ったことの原因はアマチュア無線に魅力がなくなったから、と捉えているようです。もちろんそれも原因のひとつであるのは間違いないことです。
しかし会員減少の主因は「JARLに魅力がないこと」です。
今、国内のQSLカードを集めている人以外には、JARL会員であることの、目に見えるメリットはありません。DXのQSLもLoTWでコンファームしたり、OQRSで請求するのが中心になってきています。
JARL会員でなくても、困ることはほとんどないのです。
必要なのは、「JARLもがんばっているなぁ。」「JARLの会員で良かった。」「自分がJARLの会員であることが誇らしい。」と思えることを、JARLが打ち出すことです。
その第一はバンド防衛でしょう。他の業務に必要な周波数が増えて、V/U/Sのアマチュアが二次基礎のバンドの防衛は、緊急の課題だと思います。
またHF帯以下での新たなバンド獲得に向けての活動も必要です。
太陽光発電、スマートメーターの普及によるノイズの急激な増加にも、何らかの行動をするべきだと思います。
人材はあります。時間がたっぷりあって、能力もある人をボランティアで活用すればいいのだと思います。
今のスタンスのままでは、JARLの会員数減少、ひいてはJARLの機能停止も近い将来に必ず起こることだと感じています。(2017年03月04日)
理事会の報告の中に、かつて資格別に配布されていた門標を、実費で復活配布する、ということを決めたという記述がありました。
会員の要望に応えて、ということのようですが、これがJAのアマチュア無線の活性化、ひいてはJARLの組織維持に繋がるとはとても思えません。
何か資格別のものを作って上級免許取得への意義づけとするのであれば、何をさておいても、資格別のコールサインでしょう。
例えば「JA3V」というような4文字コールサインを有料で発給できるようなシステムを、総通と協議の上で作ればいいのです。記念局では、希望するコールサインの付与が実質的に出来てるのですから、可能性はあると思います。
その際に、JARLへの寄付=例えば「JA3V」の場合は10000円とか、「JS3V」では3000円とか設定して、それを支払った場合だけ、総通がその4文字コールサインを発給する、というふうにするのです。パイルでは短いコールはかなり有利です。いかがでしょうか? (2017年03月05日)
2017年03月16日の2200JSTころから、S21ZEDがクラスタに上がりました。80mbCWでJAサービスをしているとのことでワッチ。
そこそこの信号で聞こえるのでパイルに参戦。もちろんLWに160W出力では、なかなか順番は回ってこず、他局に応答があるのを聞いているだけでした。
夜間の80mbは空電に加えて、レーダーのノイズというかパルスもひどいのですが、昨晩はその影響もあまりなく、何とかできるのではないかと期待しました。
かなりの局が交信を済ませて、S21ZEDの信号強度も上がってきた2230頃から、妨害が始まりました。
S21ZEDの送信周波数とぴったり同じ周波数で(差はせいぜい5Hz程度でした)、相当強いキャリアが出てきたのです。
最初はオンフレでチューニングしているのかと思ったのですが、はっきりとした妨害でした。
S21ZEDが誰かに応答をするタイミングでキャリアが出てくるのです。
強さから推して、JA国内からの信号であったのは間違いありません。
こういうことがあると、DX局は嫌になってひっこむことが多いのですが、S21ZEDは粘り強くQRVしてくれました。
そのうちS21ZEDがUSA指定になったのですが、そうするとこの妨害も止んだのです。そしてまたJAに応答が始まると、妨害も再開されました。
思うに、先にS21ZEDと交信した局が、他局に交信させたくなくて、こういう下劣な行為に出ているのだと思います。呆れや怒りを通り越して、妨害する人間の品性を思うと悲しくなりました。(2017年03月17日)
JARLのHPはあまり更新されることもなく、有益な情報も少ないのですが、Icomに関することだけは、熱心に報道しています。
先週東京で行われたIcomの催しを、HPのWhat's New にいち早く載せました。
このIcomの催しにJARLの出展していた、ということが掲載の理由のようですが、特定のメーカーの催しをHPで紹介するのは、どう考えても行きすぎです。
来たる社員総会で、この件に関しても議論されることを願います。
(2017年03月21日)
何十年ぶりかで短波のBCLを再開しました。意識してそうなったのではなく、IC-R8600を入手してから、音が非常にいいので自然にそうなったのです。
半世紀も前に9R-59や自作の0-V-1で日本語放送を受信し、受信報告を送ってベリカードを受け取ったことなどを思い出しました。
1970年代初めまでは、ダイアルをどこに回しても北京放送やモスクワ放送が非常に強く入感していました。
北京放送は名前を変えて存続していますが、放送の内容は様変わりです。
かつては「アメリカ帝国主義は張り子のトラだ」という論調だったのですが、いまやポップスも普通に流れる局になっています。
モスクワ放送は消滅しました。
今、1強で、世界中でしたい放題のアメリカ合衆国に対して、はっきりと放送で異議をとなえているのはイランだけです。しかもイランは日本語放送もしていて、楽しめます。
そう言えば80年ころまではイランと日本は友好的で、仕事で常駐しているJAの局がEPの免許を取ってQRVする、ということもあったなぁと思い出しました。
イランとは立場が異なりますが、ベトナムも他国=親米(というよりもアメリカべったりの)の日本とはかなり違う切り口で、アジアのニュースを放送しています。
大電力での短波放送には莫大な非常がかかります。ネットでのストリーミング放送と比べると桁がいくつも違うはずです。そのために短波の放送は、いつの時代も各国の時の政権の宣伝が本質です。
ネットでは非常に多くの情報が流れているのですが、BCLを再開して、その国も宣伝放送ということを差し引いても、その国の様子が直接伝わってくるのを強く感じました。
大電力=中には500kWというかつての北京放送やVOAクラスの局もあります=での放送であっても、パスがないとまったく聞こえません。
そういう意味では、毎日同じ場所から同じ周波数、同じ電力で送信されている短波放送は、その地域への伝搬状況の把握に非常に役立ちます。
コンディションが悪いこともあって、ますます電波を出すことが減りました。
(2017年04月29日)