若い世代とコンピュータ

有史以前

 我が本業関係のことを、ついにこのページにも記述することにします。これという心境の変化があるのではないのですが、年末(2007, December 9, Sunday)に当たって、少々の振り返り気分、というところでしょうか。
 職場にコンピューター教室なるものが出来たのが1990年。少し前のような気もするし、遙か大昔のような気持ちも生じさせる「微妙な」昔です。
 当時は、日本でコンピュータと言えば「PC9801シリーズ」でした。完全な独り勝ち+他のコンピュータとの互換性はまったくないものでした。もちろんわが愛しのMacintoshは誕生し、日本にも入ってきていたのですが、私が勤務する市の教育委員会はその存在もどうやら認識していなかったようです。私もMacintoshという9801とはまったく違うパソコン(これももうすでに死語ですね。)が存在するといういう程度の知識しか持ち合わせず、PC9801が導入されることを知っても、当然であろうとしか思いませんでした。
 当時の我が市の現場では、空調設備のある部屋はコンピューター教室だけでした。夏場に生徒諸君を入れると、そのことだけで喜んでくれたりもしました。
 箱は出来たのですが、それをどのように活用していくかについては(=どのようにも使わない、ということも含めて)現場にほとんど任されることになっていました。まだinternetが一般に解放される前だったのでセキュリティについて配慮することや、システム管理をどうのこうのということもない、まさに牧歌的な情況でした。コンピュータ本体にはハードディスクも載っていなくて、それぞれフロッピーディスクで立ち上げるようになっていました。究極のスタンドアローン状態だったのです。
 さて何をさせるのかと段になって、はたと困りました。確かにワープロソフト、一太郎Ver3は人数分あったのです。
 余談ですが、この一太郎Ver3をなぜか「三太郎」と職場のオタッキーな皆さんは呼んでいました。当然一太郎Ver4の呼び名は「四太郎」でした。
 三太郎はよくできたワープロだったのですが、システム(MS-DOSVer2.11)の入った物とでーたの入ったもの、2枚のフロッピーディスクをそれぞれの生徒が使う必要があり、不便でした。
 そこでMS-DOS3.3(もちろんPC9801シリーズ用のMS-DOS)に付いてきていたSE(だったという記憶……少々怪しいのですが、何しろ現物がどこにもないので確かめようがないのです。)という小さなソフトで文字入力と簡単な編集作業(コピペ)をさせました。
 数回の授業で400字ほど打ち込ませた物をプリントアウトし、それぞれの生徒に返すと「おおっ」と喜んでいました。自分の打ち込んだ文章が活字のようになって出てくるのは、まだまだ体験していない人が多かったのです。

原始時代

 Windowsが発表され、OSがWindows98になったコンピューターが導入されるまでの5年間ほどが、我が方の職場環境では「原始時代」のように思われます。
 DOS上で動くソフトを開発するための言語もあれこれと買い込みました。Cにもチャレンジしたのですが、まったく歯が立ちませんでした。やはり昔も今も使いやすいのはBASICです。コンピューターの速度が信じれないほどに速くなって、BASICで組んだものもそれなりに実用になります。
 1992年頃にNECからETというPDAが発売されていました。小さくておもしろそうな機能の付いた物には目のない私は、発売されてすぐに購入しました。ET-BasicというET用のソフトをPC9801で開発するための言語も発売され、手に入れました。これで作ったのは、百人一首の上の句が表示され、何かボタンを押すと下の句が表示されるという、ごく簡単な物でした。でも、このソフトを作った経験が元になって、数年後にDOS上で動くVisualBasic1.0で百人一首をゲーム感覚で覚えるソフトも開発できたのです。
 自分が一から作り上げたソフトで授業をする、というのはなかなかいいものだと思いました。
 各家庭へのコンピュータの普及率はまだ20%程度であった時代です。コンピューターに触れる、ということだけで何かしらのうれしさを感じ取れるような、幸せな時間でした。
 幸せな時間はあっという間に過ぎてしまいます。

アラン・ケイとSCratch

 突然のようにアラン・ケイの名前が出てきました。わたしの頭の中では上の段落「原始時代」と深いところで繋がっています。
 アラン・ケイはパーソナルコンピュータの概念を作り出した人物です。メインフレーム=要するに大きなメインマシンで、いろんなスイッチが山のようについていて、人間を支配するようなイメージのコンピュータしかなかった時代に、個人がその能力を引き伸ばしたり生活を豊かにするための、パーソナルな道具としてのコンピュータを考えた人物です。
 SmallTalk? というオブジェクト指向のプログラム言語を考えだした人物でもあります。
 この人が中心になって2001年ころからScratch という言語が公開されました。かつてのHyperCard? のスタックを作るような感じで、コードをほとんど’意識することなくコンピュータ上でキャラクタを動かしたり、自分が画面上に引いたコースに沿って、これまた自分が描いた車が動いていくというようなプログラムを、作ることができます。
 私がどういうきっかけでこのScratch を知ったのかはもう忘れてしまったのですが、中学生たちに数時間ほどレクチャーしたことがありました。
 生徒たちの反応は予想していたほどのものではありませんでした。今の子どもたちにとっては、コンピュータの画面の中でキャラクタが動くのは当たり前なのです。しかもScratch はかなり高度なことをあまりにも簡単に出来てしまうために、そのすごさがほとんど認識されないということも影響していたようです。
 2013年1月にRaspberryPi?という超小型のコンピュータボードを入手したのですが、そこにゲームとプログラムの例としてScratch が実装されていて驚きもし、また私のやっていたことがそこそこの先進性を持っていたことに、うれしさを感じました。


トップ   編集 凍結解除 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2017-09-10 (日) 11:25:02 (2425d)