思案中

 現職中にはなかなか意見の表明がしにくかった事柄について、そろそろこのPukiWikiでも述べてみようと思います。

全国学力調査

 2007年から再開されました。現場の教職員は、こんな調査などだれも望んではいませんでした。とにかく多忙な学校現場に、今まで以上の手間暇をかけさせられてはたまらない、というのが大多数の教職員の素朴な意見であったと思います。
 文部科学省なり各級の教育委員会が新たな施策を打ち出してくる際に、現場の意見を聴くことはまず(ほぼ、完全に)ありません。この全国学力調査に関してもそうでした。
 この調査の種々の問題点はあちらこちらで言われていますが、どの論評にも欠けているものがあるので、以下、私の考えを述べます。
 年度当初に行われる調査の結果は9月か10月に発表されます。それをもとに、「全国平均よりも下だから、来年度に向けて点数を上げる工夫を考えて、報告せよ」などという指示が、教育委員会から学校へ下りてきます。
 中には「平均よりも下の学校の校長は転勤させる」という恫喝をする知事が出てきたりします。
 たしかに、点数が低いよりも高いほうがいいというのは、生徒も教師も普通に持っている感覚です。
 問題は、平均点との比較であるということです。平均を出せば、必ずそれよりも上と下が出てきます。47都道府県の点数がすべて同一という奇跡でも生じない限り、どのように調査をしても、工夫をしても平均点以下は生じます。
 文部科学省は20年ほど前の改定で、指導要録(学籍の記録と成績の記録)の記載を、それまでの相対評価から到達度評価に改めるようにしました。その考え方と、全国学力調査の結果発表の雰囲気とは大きく食い違います。
 マスコミも、平均点との競争に関してはまったく触れることがありません。おかしなことです。
(2015年1月18日)

学力の低下の原因?

 「ゆとり教育」が学力低下の元凶だと批判され、2012年から実施された学習指導要領では、教えるべき内容がぐっと増え、教科書のページ数もずいぶん増えました。 
 「ゆとり教育」と誰が言い出したのかは不明ですが、現場の教職員の実感としても生徒の様子を見ていた感じでも、どこにもゆとりはありませんでした。
 「ゆとり教育」と言われている学習指導要領に基づいた教育が行われていた時期に、現場ではどのような問題があったのかを紹介したいと思います。
 (学習指導要領に法的な拘束力があるかどうかの議論もありましたが、残念ながら現在ではほぼ決着がついています。国が中央集権的に学習指導要領で現場を縛ることに、私は反対です。)

 「個に応じた学習」や「自学自習」「自ら問題を見つけ解決して行く能力を養う」などという美辞麗句が並べられて、選択履修が80年代の終わりから、次いで総合的な学習の時間(以下、総合)は、2001年から始まりました。
 もっとも多い時には、中学校3年生では選択履修と総合を合わせると、週に6時間もありました。週の総授業時数が30時間の頃です。
 従前の国語や社会、数学といった科目の時間数を減らして、選択履修と総合の時間がひねり出されたのです。いわゆる5教科(国社数理英)の時間も、どんどん減らされました。

 まずは選択履修の話から。
 選択履修で何を教えるのかは、それぞれの学校で(実際にはその講座の担当者が)決めます。国語の講座があれば、学習指導要領の内容に沿いながらも、教科書を使わないで授業をすることが求められました。そのための新たな予算が組まれるなどということは、まったくありませんでした。現場への丸投げでした。
 講座の内容が何とか決められたとして、次の問題はその講座を受講する生徒をどうやって決めるかです。「個に応じた」が原則ですから、生徒に選ばせる必要があります。
 生徒数200人(5クラス)の中学校があるとします。選択Aの時間に7つの講座が開かれることになったら、200人に対して希望を調査するのです。教室の大きさなど物理的な条件があるので、振り分ける作業が出てきます。
 これを選択Aから選択Dの4時間分、年度当初の非常に忙しい時期に行う必要があるのです。
 200人分の希望を表計算(大嫌いなExcel)に入力し、途方もない回数の並べ替えを行って、とにかく4月の半ばころまでには、組み分けを行いました。
 私自身が幾つかの学校でこの係りをしたので、その作業のしんどさは今でもよく覚えています。

 総合のほうは本当にばかげた時間でした。
 それまでの科目の枠を超えて、現代に生きる生徒がどうのこうのという文章に始まり、「生きる力」を養うのが総合的な学習の時間の目標でした。
 官僚の作文はよくできていますが、無内容です。しかしこれに現場は縛られたのです。
 選択履修では、まだ教科的な学習が可能でした。しかし、総合の時間では、文部科学省が例示した環境や地域学習が声高に取り上げられ、教室を出て行くことがよいことであるかのように宣伝がなされました。
 マスコミもこぞって総合の時間を持ち上げました。総合の時間さえきっちりやれば、意欲的に学習する生徒が増え、学校の抱える問題はすべて解決するかのような論調が、各新聞のページに溢れていました。

 実際に現場で起こったことは悲惨でした。
 私が勤務した枚方市内北部のS中学校では、一時、各学年の総合の時間は週に2時間(連続)ありました。その時間には、班単位で生徒は(ほぼ)自由にというか、勝手気ままに校内外を動き回るのです。名目は、近隣の環境調査であったり、図書室での調べ学習(要するに本の記述を写す)であったり、コンピュータ室での検索であったりします。
 生徒は教室から出るのが好きです。教師の管理を離れて、しかも総合の時間の活動、という大義名分までもらっての自由行動が許されたのです。
 中には、まじめに取り組む生徒も極く少数はいたのですが、半年かけての活動の結果は、せいぜい模造紙1枚にまとめられた(というか切り貼りした)ものだけでした。
 当然、他の学年が教室で授業を受けている時間に、学校内の1/3の生徒が校内外をうろうろするのですから、学校全体が落ち着くはずがありませんでした。
 (この中学校の妙な総合のシステムは、ほどなくして自壊しました。)

 仮に文部科学省の考えた総合の目標が正しいものであったとしても、それを実現するには、予算、具体的には現場の教職員を増やすことが必要でした。
 そういうことをまったく行わないで、丸投げ以上の放任状態を文部科学省は作ったのです。

さすがの文部科学省も選択履修はやめた!

 2012年からの現行の学習指導要領では、さすがに選択履修はなくなりました。それまでにも、現場では苦肉の策でなんとか選択の時間数を減らす取り組みをしていたのですが、それを文部科学省も追認せざるを得なくなったので。
 現場はほっとしましたが、文部科学省は自分たちが出した施策の失敗に関しては、一切知らぬ存ぜぬです。
 そして、総合の時間はまだ残っています。

 この20年間のマイナスを取り戻すには、かなりの時間が掛かることだと心配しています。(2015年1月20日)

教科書採択

 日本には教科書検定という制度があります。戦前は国定教科書で、それこそ全国津々浦々まで1種類の教科書しか存在しなかったのですが、現在は検定さえ通れば、どの教科書を採択するかは、教科書採択区の自由です。
 と、こんな風に書くと、問題のない制度のようですが、多大な問題を含んでいます。
 家永教科書訴訟を持ち出すまでもなく、文部科学省(前身の文部省ももちろん)は、教科書の内容には、事細かに注文をつけてきます。
 文部科学省の言うとおりに書き直さないと、検定を通らないのです。
 教科書採択は中学校ではだいたい4年に一度です。教科書会社にとっては、販売を増やす可能性は、4年に一度しかないとも言えます。
 もちろん、編集作業には多大な時間と労力、経費がかかります。作り上げた教科書を最終段階の検定(採択の前年)で不可にされれば、それまでの経費を取り戻すことは、不可能になります。
 仕方なく、(このごろはそうも言えない感じで、教科書会社のほうが文部科学省や政府の意向をくみ取って自主規制をしている様相も見えます)教科書会社は、教科書の本文を書き換えたりするわけです。
 このこと自体も、非常に大きな問題ですが、あまり世間では注目されない、教科書採択の問題を、少々述べてみたいと思います。

 公立小中学校の教科書採択は、採択区ごとに行われます。大阪では大体人口50万人でひとつの採択区になるようですが、もちろん地域によって違いがあります。
 枚方市は枚方市単独で採択区になっています。
 採択区では、教科書の科目(種目というのですが、とおりのいい「科目」と表現します。)ごとに、3名から4名の調査員を選びます。
 調査員はその科目の現場教員と管理職がなることが普通です。
 その調査員が各社の教科書を専門的な観点から調べて順位をつけて、選定委員会へ報告します。選定委員会は教育委員会や学識経験者などで構成されています。選定委員会は調査員の報告をもとに、採択する教科書を科目ごとに決めて、教育委員会へ報告することになっています。
 こういふうに淡々と書くと、どこにも問題はないようですが、現場の意見、つまりその教科書を日々使って授業する教師の意見をどのように反映させられるかは、制度上には何の保証もないのです。
 しかし、ごく常識的に考えて、その品物=この場合は教科書=を実際に使う人の声を聞いて、どの商品を購入するか(どの教科書を採択するか)を決めるのは、まっとうなことです。
 十数年前までは、たいていの採択区では、現場の意見を何らかの形で吸い上げることを行っていました。
 枚方市でも現場の意見を吸い上げて教科書を採択することがずっと行われてきて、何の問題も生じませんでした。当然のことです。
 しかし、1990年代の後半にN氏が教育長になって、様相はころっと変わりました。
現場の意見を全く聞くことなく、教育委員会主導で教科書を決めるようになったのです。
 このN教育長は、教科書採択以外でも、学校現場の意見は全く聞こうとはしませんでした。大問題です。
 それでも、使いやすそうな教科書が採択されたのであれば、良かったと言えるかも知れません。
 しかし、まことに妙な現象が生じました。
 中学校の教科書を発行している出版社は十数社あるのですが、このN教育長が就任してからは、13種類の教科や科目の教科書のほとんどが、東京書籍のものになったのです。確率的には絶対にあり得ないことです。
 もちろん、選定委員会の議事録を読んでも、教育長からの指示で、などという文言は出てきませんが、どこかで調査員を取りまとめる管理職にも、また選定委員会に対しても、N教育長の意向が伝えられたのは間違いないでしょう。
 なぜN教育長が東京書籍を推したのかは不明ですが、何らかのつながりがあたっとしか考えられません。
 その後、N教育長は退任するのですが、2011年の採択まで同様の状態が枚方市では生じています。
 2015年の採択ではどのような結果が出るのでしょうか。(2015年1月21日)

長時間労働

 サザエさんのお父さんの波平さんは、夕方帰宅して家族と一緒に夕食をとります。マスオさんのほうは飲んで帰ることも多いようですが、退勤はそんなに遅い時刻ではありません。1970年頃までは当たり前の光景でした。
 ところが現在では、残業や早出が、どの職場でも当たり前のように行われています。家庭や退勤後の時間は、労働力の再生産に必須のものです。ゆっくり休養を取らない限り、いい仕事ができるはずがありません。
 産業革命が始まったころには、労働者はまさしく消耗品でした。しかし非常に長い年月を掛けて、労働者の生活を守ることが、結局は企業にとってもプラスであることを、資本主義は学んだはずだったのですが、日本の資本家は、そのような歴史認識も持てなくなっているのかも知れません。
 1日あたり8時間の労働時間の制限を求めるアメリカの労働者のストライキが、暴力的に弾圧されたのは150年前です。
 8時間労働制は、労働者の血と汗によって勝ち取られたものですが、人間の生活を考えた場合、非常に妥当なものです。
 睡眠に1/3、労働に1/3、余暇に1/3で人間らしい生活ができるのです。
 ところが昨今の日本では、長時間労働が当たり前にようになっています。そのこと自体も大問題ですが、安倍政権は、労基法を改悪して、最終的には全労働者の賃金の一定化=どれほど長時間労働が行われても、給料は一定にするという、信じられない施策を打ち出しています。
 政府の言い方は、労働者が働き方を工夫して自由時間を生み出せるようにする……というまさに美辞麗句ですが、圧倒的に使用者の力が強い現状でそのようなことができるはずはありません。

 企業の国際的な競争力をつけるため、というのがその目的のようです。たしかに短期的には、企業(主に大企業)の収益は上がるかもしれません。しかし、働く人間を消耗品扱いする施策は、結局はこのクニの弱体化を招くことは間違いありません。
 単純に考えても、労働者の賃金を上げないでいくら生産活動を続けても、商品はいずれ売れなくなるはずです。また労働者=大多数の国民=という、代替のきかない資源を消耗することは、生産活動自体が中長期的にはマイナスへ向かうだろうと思います。
 大企業は歴史上最大の内部留保を持ちながら、賃金を上げようとはしません。2015年の春闘では、若干の賃上げがあるかも知れませんが、労働時間の規制撤廃を条件に出してくるような気がします。

 普通の人が、9時ー5時の仕事をして家庭に帰り、休養して次の日の英気を養うという当たり前のこと、そして企業にとっても本来は必要なことが、日本では得難いことになってしまいました。(2015年1月22日)

税金はどこへ消えているのか?

 2015年10月から12月にかけて9週間ドイツで過ごしました。Braunschweigという北部の小さな町です。3度目の滞在になるので、町の様子も余裕を持って見ることができました。
 活気もあるのですが、ゆったりしています。

 ドイツ(東西統合後のドイツ)は人口が日本の約2/3です。国土面積もさほど変わりません。
 第2次世界大戦で国土がひどく破壊され、そこから復興したという点でも似ています。
 似ていないのは、人々の働き方です。夕方5時になると、ほとんどの人は仕事をやめて帰宅します。土日は休みです。日曜日はスーパーも閉まっています。日曜日は、極く少数の例外を除いて、すべての仕事が休業です。これは法律で決まっていて、背景にはキリスト教の考え=創世記の「7日目に神は休まれた」=があります。

 ドイツもかなりの高齢化社会を迎えているようで、平日に街中を歩くと、如何にも退職後の生活を楽しんでいる、という風情の人たちを多く見かけました。
 医療費も教育費も無償です。教育費は大学まで無償です。それだけでも、気持ちがゆったりします。
 移民の受け入れも積極的です。
 子ども連れに対しては、無条件に最優先するという風潮があります。ベビーカーを押していると、誰かがドアを開けてくれたり(ドイツでは自動ドアはほとんどありません。)、カフェでもどこでもベビーカーを入店させられるのが当たり前です。嫌な顔をする人はまずいません。
 2ヶ月の間に、日本の様子と比べて、どうしてこのような違いが生じるのか不思議で仕方がありませんでした。
 税金はかなりの率です。消費税は物によって差がありますが、いわゆるぜいたく品には20%ほどかかります。食料品は低く抑えられているようです。

 9時-5時の勤務が普通で、医療費も教育費も無償で、国がなりたっています。Braunschweigは小さな町(人口は25万人ほど)ですが、活気もあります。週末のショッピングモールは、かなりの人出です。
 なぜドイツでできることが日本では出来ないのかが、不思議なのです。
 働き方に関しては、考え方の違いによるところが大きいように思いますが、医療費や教育費の件は、根本的に税金の使い方の違いだろうと考えます。
 日本の税金はいったい何に使われているのでしょうか?(2016年3月7日)


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Last-modified: 2017-09-10 (日) 11:23:07 (2413d)